ブログ版 空冷Zとの戦い

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塩竃市・伊勢模型店の思い出

塩竃市に「伊勢模型店」という老舗があった。
「あった」という書き方になったのは、しばらく闘病生活を送っていたご主人が亡くなったと聞いたからだ。
自分が記憶している限り、ご主人は独身だったし、闘病生活中、店は何年も休業状態だったから(時折、開けていることもあった)、少なくとも親族など近しい方が跡を継ぐことは無いと思う。

自分が伊勢模型店と出会ったのは、今から40年以上も昔だ。
多分、幼稚園か小学生にあがるかどうか、だったと思う。
スーパーカーブームだった時代、多分、親に「スーパーカーのオモチャが欲しい」とねだったのだろうが、どういうわけか伊勢模型店に連れていかれ、多分、モーターで動くカウンタックLP500Sのプラモデルを買ってもらったのだ。

当たり前だけど、10歳にも満たない子供が、スケールモデルを渡されても満足に造れるはずがなく、付属の接着剤でベトベトになって完成することはなかった。
ただ、その時にもらったタミヤのオマケ、いまでいうノベルティグッズが、パッケージイラストを集めた下敷きのようなもので、そこにドゥカティのMHR(マイク・ヘイルウッド・レプリカ)が描かれていて、その美しさとカッコよさに強烈な衝撃を受けたことを覚えている。

その後、順当にガンプラブームに乗っかって、小学生の間は親が本気で心配するほど部屋はシンナー臭に包まれていたが、普段、模型を購入するのは近所の駄菓子屋だった。
当時は駄菓子屋が玩具やプラモデルを扱うことが多く、どこの店でもいくつか模型が置いてあった。

伊勢模型店で買うのは、模型に使う工具や塗料が多かったが、小学校高学年の時、ラジコンブームが到来、お年玉を貯めて購入したのがタミヤのバギーチャンプというラジコンカーだった。

乾電池で動くオモチャのラジコンも持っていたが、ガチのラジコンカーは、巨大なモーターが搭載され、7.2Vのニッカド電池をエネルギーとしているものだから、とんでもなく速かった。

パッケージも巨大で、これを買った時、普段は結構おざなりに扱う伊勢模型店のおばちゃんが、雪がちらつく中、わざわざ表までやってきて「ありがとうございました」と仰々しく一礼した時には、VIP待遇を受けた気分だった(笑)。

その時は、伊勢模型店も古い店舗で、真ん中の棚を仕切りにするようにして、アニメモデルとスケールモデル、ラジコンなどを分けていて、店の奥におじさんとおばさん、そしてまだ髪の毛がフサフサでイケメンのご主人が座っていた。

高校に入った頃は、すっかりプラモデルから遠ざかったが、当時プレイしていた大戦略の影響でドイツ軍の対空戦車ゲパルトを買ったのと、演劇部の小道具づくりのために材料を伊勢模型店でそろえたのが、旧い店で何かを買った最後の記憶である。

店を改築してから行ったのは、大人どころか30歳手前で、無性にガンプラが造りたくなって1/60のPG版シャア専用ザクを買いに行った。
おばちゃんは、自分を覚えていたのか分からないが「しょっちゅう来ないヤツを客とは思わん」みたいに言われて「相変わらずだなあ(笑)」というようなやり取りをした。

それからさらに月日が流れ、何故か娘がガンプラにハマりだし、お祭りや初売りのたびに「伊勢模型店へ行こう」とせがまれた。

小学校の頃、正月になると年の近いイトコたちと連れ立って、伊勢模型店の初売りに行くのが何よりの楽しみだった。
初詣は行かないくせに、初売りだけは欠かしたことがなかったかもしれない。

いま、子供たちの数も半減したし、プラモデルを作る人口がどれくらいになってしまったのか分からないけど、世界的にはガンプラブームらしく、バンダイも国内市場よりも海外向けの販売に力を入れているのだそうだ。

これから、伊勢模型店がどうなってしまうのか分からないが、長年にわたって塩釜の本町商店街の「顔」として知られたお店なので、閉店してしまうのはホントに惜しい。

この店で活動していた模型サークルもあるし、そういう方々が中心になって継続の道を探れないものか、と思うのは外野の勝手な意見なのだろうけど…