連日、ウクライナでは戦闘が行われ、多くの人々が犠牲を強いられている。
ウクライナに住む民族的にウクライナ寄りの人たちもそうだし、ウクライナの領土内に住む親ロシア派の人たちも無事ではいられないだろう。
ロシア、ウクライナの歴史に疎い我々でも、いちばん最初に考えなければならないのは、原油高、小麦高、肥料高ではなく、兵器や硝煙とは無縁の生活を送ってきた、我々とあまり変わりのない人々のことだ。
随分と昔、中東で起きた湾岸戦争。
あの時、メディアはイラクが侵略者でありクウェートはイノセンスであり、イラク軍を率いるサダム・フセインはダースベイダーが如く悪の権化として扱われていた。
しかし、数十年が経ち、冷静な気持ちで当時の資料を読み返すと、イラクがクウェートに侵攻せざるを得なかった事情を垣間見ることが出来る。
もちろん手段として戦争を選ぶ、先に先制攻撃を仕掛ける側は非難されてしかるべきなのだが、それをいえば、日本だって真珠湾攻撃をしかけたのだから悪の権化だ。
では、当時、そこに暮らしていた日本人が、おしなべて好戦的でアメリカを殲滅せんと目に炎をたぎらせていたか、といえばそんなことはないだろう。
あの時、日本としては、哀しいことだが、そうせざるを得なかった。
という意見も多いのではないだろうか。
単純に現在のロシア・ウクライナの構図に当てはめることはできないが、JRの某駅のようにロシア語表記の看板を隠すのは、昔、アメリカで暮らしていた日本人が開戦直後にいわれなき差別を受けた状況を連想させる。
SNSで見かけた投稿だから信ぴょう性はないが、ロシア人が経営するバレエ教室に石つぶてを投げた人たちもいるのだそうだ。
いまの日本で。
石を投げた、石を投げたことへ喝采を送ることは、無抵抗のウクライナ人に銃を向けたロシア軍とやっていることは大差ない。
世の中がスターウォーズのように勧善懲悪だったら単純で良いのかもしれないが、われわれ日本には機動戦士ガンダムという優れた作品があるではないか。
地球連邦には地球連邦の正義が。
アナハイムエレクトロニクスにはアナハイムエレクトロニクスの正義が。
ザビ家にはザビ家の正義が。
ミネバにはミネバの正義が。
それぞれの言い分、それぞれの立場によって、正義も真実も別の姿を映す。
何が正しいことなのか分からないかもしれないが、戦火に追われる人々を差別することなく、手を差し伸べることは正しさにつながっている気がするし、そうあって欲しいと思う。