ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

ロストジェネレーション

ネット上を飛び交っているロストジェネレーションという単語。

1970年代に生まれた自分は、まさにロストジェネレーション。

少子化の今では考えられないだろうけど、自分たちの世代は子供の数が多くて、しがない田舎の小さな街でも「マンモス校」があったし、比較的小規模と言われていた自分の中学の時でも1学年で400人近くの生徒がいた(いまではその半分以下)。

それが全国的にそうだったんだから、学校の数は足らないし、何なら専門学校さえも沢山あった。

じゃあ仕事も沢山あって万々歳じゃないの、と思うかもしれないけど、我々が大学を卒業していよいよ社会人だ、という時にバブル経済が終焉。

覚えているのが、高校時代、進学も就職も行く先がないような連中が「ここなら入れるかな」と選んだのが市役所はじめ公務員だった。
下に見ていたわけじゃないけど、民間の方が給料が格段によかったし、将来性もあったのだ。
高校3年の秋ごろ、民間大手に採用が決まった同級生の誇らしげな顔はいまだに忘れられない。

ところが数年後、専門学校はもちろん大学を出ても就職難が始まった。
これが何十年も続いたのだから、今考えると相当大変だったんだと思う。

失礼を承知でいえば、求人票をみても「なんでこの大学を出てこの仕事なの?」というものばかりだった。

特に自分たちは、すぐ上の先輩たちの姿を見ているから、少なくとも大学を卒業さえすれば、華やかで楽しい社会人生活が待っている、次はオレたちの番だ、とワクワクしていたのだが「199X年、地球は核の炎に包まれた」と同じくらいドラスティックに世の中が変わってしまったのだ。

進学も大変だったし、就職はもっと大変で、氷河期の連続だったわけだが、いちばん精神的にきつかったのは「信じてきた価値観が失われる」まさにロストしたことだと思う。

それまで親や先生たちからは「一生懸命にやってりゃいい」と言われたけど、大人になってみたら、それだけでは食っていけなくなった。
多角的な広い視野が必要になり、いまでいうライフハックに気づけないと、たちまちスピンアウトしてしまうような世界になったのだ。

世の中は弱肉強食だというのは言葉では知っていても、まさか経済大国の日本で生まれ育った自分たちが、そういう世界に放り込まれるとは夢にも思わなかった。

24時間戦えますか?は、世界中を飛び回るジャパニーズビジネスマンのことではなく、やっと見つけた仕事で生き残るために必死で塹壕を掘り続ける歩兵のような生き様だったかもしれない。

自分たちよりも一回り二回り若い連中は、そういう世の中が当たり前で、うまく馴染んでこれたのかもしれないけど、てっぺんからどん底を知った今の50代や40代後半はどうなんだろう。

もちろん時代や世界のせいにばかりはできないし、いまある環境でどうにか生き抜いていかなければならないのは、どの世代だって同じだ。

貧すれば鈍する、ということわざもあるように、そういうことばかり降りかかってきたら、卑屈になったり、人に対して辛く当たる気持ちが前に出るのかもしれない。

しかし、だ。

ロストジェネレーションだもの、そうなるよね。

としたり顔で言われるのも気に入らないから…いや、それだけじゃないけど、自分たちがしんどかった分、他人にやさしくできたり、慮るようになれたらいいね。

 

50代からどうするのか

気がつけば20歳、30歳…というフレーズなんてウソだと思ってた。

たとえ祝福されないまでも、行政的な手続き(免許の更新など)で定期的に自分の誕生日や年齢がお知らせされるし、進学、就職活動、病院の診察そのほか諸々で、なんだかんだいってよそから知らされるからだ。

 

ところが40代後半になった頃だろうか。
誕生日はいいとして、自分の年齢がよく分からなくなってきた。
何歳、とパっと言えなくなってしまったのだ。
去年だかおととしまでは、1歳多く勘違いして、同級生に指摘されて気づいたという。

自慢するように聞こえたら申し訳ないが、記憶力はかなり良い方である。
神経衰弱ゲームみたいなのは別としても、いつ、誰とあって、どんな話をしたか、それがいつだったか、というのは克明に覚えている。

なぜ覚えていないのか。
自分なりに理由を考えてみたが、おそらく年齢が実生活に与える影響がなくなってきたからと思う。

たとえば学生や20代の頃は同級生か同期なのか、話題になる。
30代も、まあそんな感じで誰かと年齢を比較することがある。
40代になってくると、年齢よりもキャリアとか、何が出来るのかどうかが話題になるから「年齢」でカテゴライズ出来なくなる。
転職活動は、ちょっと違うかもしれないけど。

実際、年齢が上の人に指示を出すこともあるだろうし、自分よりも随分年下の人と一緒に働くこともある。
プライベートも似たような感じになる。
遊び友達だって年齢は千差万別だし、よほど近しい関係にならない限り、年下の人たちにも敬語で接する機会が多くなるし、年上の方からも敬語で話しかけられるようになる。

社会人になってある程度過ぎると男性は「オッサン」という大きなくくりに放り込まれてしまうので、年齢が重視されなくなるからなんだろう。

もうひとつ思うのは、50代になって、これからどうするのか。
高齢化社会に突入しているものの、多くの会社では60代で定年を迎える。
経営者やフリーランスは身体が動く限り、60代を迎えても関係なく同じ仕事を続けるだろうけど、労働人口の90%を占める(2022年の労働力調査による)「雇われ労働者」は65歳あたりでリタイアする。

よほど裕福じゃない限り、または元の勤務先に請われたら同じ職場で「嘱託」のような形で再就職するのだろうけど、そうじゃない方が大半だろう。

30代くらいだと、まだピンと来ないかもしれないが、50代になると10年なんてあっという間だ。

10年くらいすると、社会に放り出されるのだ。
職人や技術者のように特殊なスキルやノウハウがあれば再就職は難しくないかもしれないが、雇われ労働者にとっては大きな問題だ。

自分のようにフリーランスでもあり経営者でもあり雇われ労働者でも、そこはかとなく危機感を持っている。

少子高齢化であちこちで人材不足だから仕事を選ばなければ何とかなるのかもしれないけど、高齢になるにつれ変化への対応が厳しくなる。
よく定年後に老け込むという話を聞くけど、やることがなくて萎れるのではなく、環境や置かれた状況に順応できない精神的ショックで心も体も委縮してしまうのではないだろうか。

そして、その未来がすぐそばまでやってきているという現実に押しつぶされそうになる、それが50代の我々を蝕んでいる。

50代の我々に救いは無いのだろうか。

 

いや、そんなことはない。
たとえば日本地図を作り上げた伊能忠敬は、それまで地図作りも何も知らなかったのに着手したのは50歳を過ぎてから、しかも最初の測量に向かったのは55歳を過ぎてから。

彼が生きていた1700年代初頭、日本は江戸時代。
50代で死ぬ人も決して少なくなかったはずだ。

 

伊能忠敬は、偉業達成の夢や目標があったから、つまりモチベーションがあったからこそ頑張れたのだ、という意見もあるかもしれない。

たしかにそうかもしれない。
前向きな気持ちは人の背中を押してくれる。

 

じゃあ、こういう人はどうだろう?

奇しくも伊能忠敬が地図作りのプロジェクトを始めた頃、宮城県塩竃市(塩釜市)は寒風沢(塩釜市の離島)出身の津太夫という男性がいた。

伊能忠敬とは同世代で、石巻市で長距離運搬船の乗組員、いまでいう長距離トラックのドライバーのような仕事をしていた男性がいた。

いつものように、米や木材を積んだ船で南を目指していたのだが、彼の勤め先だった石巻発の船が1793年11月に福島県いわき市沖で暴風により航行不能になり、半年以上も過ぎた1794年11月、アリューシャン列島のひとつに漂着、当時のロシア帝国に救助される。
 
ロシアでの待遇や生活については割愛するが、およそ10年余りのロシア生活の後に日本を目指してロシア東部のクロンシュタットを出航。
アフリカ大陸の西側を抜けて南米大陸の南側から太平洋を横断、長崎に到着したのは1804年。

本人が望んでわけではなかったが、ロシアに漂着したのが50歳、日本に帰国したのが61歳。

一緒に漂流した乗組員の中には病死した人もいる。
ロシア正教の洗礼を受け、ロシア人として帰化して不自由なく暮らした乗組員もいたが、津太夫をはじめ一部の人間たちは頑として聞き入れなかった。

 おかげでロシアでの生活は非常に苦しかったのだという。
やっとの思いで日本の地を踏んだにも関わらず、帰国後、厳しく詮議されたうえ自殺しちゃった人もいたわけだから、相当大変だったはず。
それでも津太夫は塩釜の寒風沢に戻り、70歳まで生きた。

実は、この津太夫さん、成り行きとはいえ、日本人初の世界一周を達成した人物であるが、あまり知られていない。

もっと塩釜市でも讃えるべきだとか、確かにそういうこともあるけど、そこじゃない。

 
太夫と同じ時代に生まれ、こちらは教科書にも載っている有名人、伊能忠敬が日本地図の作成に着手したのは津太夫が漂流してロシアで暮らしていた頃。
伊能忠敬も50を過ぎてから天文学を学び、地図作りを始めたのは55歳になってから。

望まざる人生の変化が訪れてもなお、再度故郷の地を踏むまで生き抜いた津太夫
目的のために勉強をし直して、新しい仕事に取り組んだ伊能忠敬

300年も昔の人たちが、50を過ぎても偉業を成し遂げたのだ。
人生100年と言われた現代の我々なら、まだまだこれからだ。

しんどい時は、伊能忠敬と津太夫のことを思い浮かべながら生きるとよいかもしれない、というお話でした。

SIMPSONの靴

1990年代、はじめて海外へ出かけた時に購入したSIMPSONのクルーシューズ

ややマイナーチェンジしたけど、30年近く経っても基本的なデザインは変わらず。
黒一色で派手さはないけど、おおよそどんな服を着ても無難にこなしてくれる。

 

 
あまりネットでも販売しているの見たことないけど、

traderhouse.jp

トレーダーハウスというショッピングサイト、ここがSIMPSONのヘルメットやらウェアを扱っていて、たくさんの在庫を取り揃えている。

思わず2足買っちゃったという(笑)

初めてのワークアウト

出張先のホテルにジムがあった(事前に知ってた)。
誰でも使っていいんだけど、そもそもジムに行ったことがないから、どれくらいの負荷が適切なのかよく分からない。

ベンチプレスのように、失敗したら死につながりそうなのは手を出さず、ラットプルダウンというヤツだけやってみる。

いつもワークアウトしてる知人に写真を送って「これはどうやって使うのか」とリモートで説明を受けながら、トライ。

普段、懸垂しているんだから、体重と同じでもいけるんじゃないかと思ったけど、全然引けない(笑)。

試行錯誤して43kg+5kgの負荷くらいが楽しくできるレベル。
一応、10回×3セットを軸にしてやってみた。
初ジムなら、こんなもんじゃない?

櫻井くまら、という女性を思い出した

先日、BUCK-TICKのヴォーカリスト櫻井敦司さんが亡くなった。

まだ60歳にも満たぬ年齢だった。

BUCK-TICKがメジャーシーンに登場するや否や、ティーンズたちのハートを鷲掴みにして、女子はもちろん男子たちも彼らのビジュアルに影響されていた。

 

そのころ、よく遊んでいた女の子も彼らに夢中になって、半強制的にBUCK-TICKの曲を聴かされるだけではなく、彼らがいかにカッコいいか聴かされる羽目になった。

まだ若かったせいか、半分やきもちを焼いたように面白くなさそうな顔をして、彼女の話に相槌を打っていた記憶がある。

 

それから何年かして、ある女子と知り合った。

彼女は「櫻井くまら」と名乗る女子高生で、ヨハネ(余破音)という、いまでいう「ガールズバンド」を率いていた。

彼女たちが作り出す世界観は、文学的、耽美的というか、いわゆるノリノリの音楽ではなかった。

 

やや浮世離れしており、あと少し踏み出したら狂気の世界へ行ってしまうような危うさがあり、それは若い女の子にありがちな不安定さだったのかもしれないけど、臆することも恥じることもなく堂々と自分の世界観をアウトプットする彼女の言動に惹かれていた。

 

一方で彼女には現実的というか、ちゃんと年相応の女の子と同じ感覚もあって、それがBUCK-TICK櫻井敦司に恋する…いまでいう「推し」というヤツだった。

実は彼女の「櫻井」というファミリーネームも本名ではなく、いわゆる芸名だと知ったのは、少し後になってからだった。

 

前述の同級生がBACK-TICKの音楽性を軸に櫻井敦司さんの素晴らしさを語っていたのだが、彼女はひたすら櫻井さんがいかに美しいかを語っていたので(もしかしたら、よそではそうではなかったかもしれないが)、恋に恋する乙女という一面を見た気がして、微笑ましかった。

 

自分が知る限り、彼女と出会った人たちの多くが彼女のルックスを褒めていたし、自分もそれは認めていたけど、兄と妹のような関係のまま(実際、彼女からは兄貴と呼ばれていた)だった。

彼女との交流は何年か続き、一緒にステージで演奏したこともあったけど、出会った頃、女子高生だった彼女も成人して酒や煙草をたしなむようになり、覚えたての大人のセリフを振り回しては、周りの人たちを傷つけることも多くなった。

 

自分ともそんなやり取りが多くなり、明らかに論点が外れて、お互いを罵り、傷つけるためだけのやり取りが繰り返されたこともあったと記憶している。

そんな関係に辟易してしまい、やがて距離を置くようになった。

 

ほどなくして、社会人になり、自分の暮らしが目まぐるしく変わっていた時期と重なってしまい、彼女とはすっかり疎遠になってしまった。

最後に言葉を交わしたのがいつで、どんなやり取りがあったのかさえ、もう思い出せない。



それから随分と時が過ぎて、時代が令和になった頃。

 

一度だけ、彼女を見かけたことがあった。

彼女の家からそう遠くないショッピングモールの中にあるパン屋のイートイン席で、マグカップを片手に座っている彼女を見かけたのだ。

歳を重ねてはいたけど、あまりあの頃と変わらないままだった。

 

どう声をかけるべきか、何というべきか。

逡巡のようなものが脳裏を駆け巡る。

気を落ち着かせようと、意味もなくフロアを一周してから店に戻り、呼吸を整え、いざ彼女に声をかけよう。
そう思ったけど、彼女の姿は無かった。

休日、人がごった返すショッピングモールで服装もよく覚えていない女性を探すのは不可能だった。

 

そして、櫻井敦司さんの訃報。

彼女もこのニュースを知っているはずだ。

恋焦がれたアーティストの早すぎる死が、どんな風に彼女へ届いたのか知る由もないが、できることなら若かった頃の振る舞いを謝罪できたらと願っている。

義理と人情

あんまり具体的には書けないけど

コロナ禍が始まった頃だろうか

20代の若い女性から、ある理由で毎日のように電話があった

先に言っておくけど、やましいことじゃないからね(笑)

兄としては年が離れすぎているから、お父さんの代わりのような感じで相談に乗っていた

彼女は日々の暮らしが辛くてしょうがなかったし、コロナ禍で人生設計がくるってしまったのでパニックになっていた

会って話を聞いてあげたらよかったんだろうけど、近所じゃなかったのでどうしようもなかった

 

自分の意見を押し付けるつもりはなかったけど、いろいろと本人のためを思って考えたアドバイス裏目に出て、結果的に彼女との関係が悪化してしまった

以降、別件で彼女に連絡を取っても、つれない態度というか、それまでとても慕ってくれていたのに、赤の他人どころか、迷惑そうな感じだった

 

最近も、良かれと思ってしたことが、すべて裏目に出てしまい、同じようにそれまではすごく慕ってくれていたのに、もはや憎悪すべき対象のように扱われた

何かを押し付けたつもりもないし、偉そうに説教したつもりもないけど、いまとなっては、自分の言葉ひとつひとつが、ヘイトスピーチのように聞こえるというか、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い状態である

 

それでも、自分は人の縁は大事にするというか、何十億という人々が暮らすこの世界で、敵としてではなく、友人や仲間として出会ったのだから、いつかどこかで分かり合えたりするのではないかと信じている

 

それを言うと「おめでたい人間」と笑われそうだけど、よっぽどのことがない限り、自分から相手を拒絶したり、嫌うことはない

 

同じ人間といっても、世代も性別も育った環境も違えば、考え方や価値観に違いが出るのは当然で、最初は気にしなかったことでも、だんだんと違いが明確になっていって、それがストレスになることもある

調子のいい時は「なんでも遠慮なく言い合おう」と言ってたのが不仲になると「そんな細かいことまでいちいちうるさい」となるわけで

 

それは本当にしゃあないと思う

 

でも、それでもよ

義理人情は欠かしたらイカンと思うわけ

世話になったんだったら、たとえ価値観が違って、ややもすれば憎たらしい相手でも、自分のためにいろいろしてくれたことは事実なわけで、そこまでは否定できないでしょう

だったら、礼を欠いたらいけない

というのが、自分の考え

もちろん、そんなの知らんわ!

て、うっちゃる人もいないわけじゃないけど、それをやり続けると、どんどん人の縁が切れていって、手詰まりになることもある

 

縁は無限につくれるかもしれないけど、縁を作る場所には限りがある

「オレは海外にも拠点があちこちあるから、その都度、そこで縁がつくれたらいい」

ていうくらい選択肢が広い人は少ないでしょう?

たいていの人は、自分が住む街を軸に縁が広がっていく

そこで、いろいろやらかしてたら、誰からも相手にされなくなるでしょう?

 

って思うんだけど、考え方が古いのだろうか...

 

シン・仮面ライダー を観てきた

多分、ネタバレになるので、要注意。


ゴジラウルトラマンに続く庵野監督の特撮リブート作品。

youtu.be

冒頭映像が公開されているけど、全体的にはこの雰囲気のまま進む。
しかしながら、物語が進行するにつれ、CG、VFXのボリュームが増大していって、せっかく丁寧に製作したコスチュームの質感が台無しになっている(気がする)。

特に空を飛んだり、超人的なアクションは、スパイダーマン的にCGのオンパレード。
シン・ウルトラマンは地球外の生命体だったから、あえてCGでもよかったんだろうけど、仮面ライダーは人間がつくった改造人間たちだ。
仮面ライダー The First出渕裕がリファインしたデザインを彷彿させる(実際、出渕氏がデザイナーとして参加)秀逸なキャラも、CGで動かされるとかえって迫力がない。
個人的にはバイク用のヘルメットが変形して仮面ライダーのヘルメットになったり、アゴというかフェイスシールドの部分がシャキンと現れるギミックは必要なかった気がする。

そういう意味では、変身ギミックをあえて省略したThe Firstの方が演出的には成功していると思う。

www.youtube.com

あとは、セリフの演出もあるんだろうけど、聞き取れない箇所が多くて、結局ショッカーの目的と活動内容、地に足がついていない感じがして、ラスボスとの戦い終結も「え?そんなんで終わるんだったら、もっと工夫したらよかったんじゃないの?」
「ここまでこんな苦労する必要あった?」
と思うわけですよ。
他にも怪人をたくさん登場させたせいか、落ち着かない。
俳優陣も豪華でクレジットみても「え?どこにいたの?」と思ったほど。

好みもあるのだろうけど、ヘルメット(仮面)を被ることによって、怪人もライダーたちも人間から人間とは異なる存在になる、という図式をもう少し強めに出しても良かったんじゃないかと。

あとは俳優陣の演技がよかった。
池松壮亮の朴訥とした本郷猛も良かったし、後半で肩を震わせるシーンは最高だった。

庵野監督は、ナイーブなヒーローを描くのが巧いのかもしれない。

あとは、もう浜辺美波のオンパレード。
浜辺美波に惚れ込んだ監督が、もう権力をめいっぱい使って浜辺美波を全面に押し出している。
もはや浜辺美波のための仮面ライダーといっても過言ではない。
クセのあるセリフ回しも思いのほか違和感なかったけど、げっぷが出るほどのCGは要らなかったんじゃない?