ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

価値あるシーズン 価値ある戦い ありがとう東北楽天 ゴールデンイーグルス

残念ながら、日本シリーズ進出は叶わなかった楽天イーグルス

どこか歪で排他的な野球業界のバスタード(いまではライブドアが名乗りをあげていたことは話題にすらのぼらない)として産み落とされ、まったく失礼な言い方にはなるが、数合わせのための選手をそろえただけのチームが、偶然ではなく、本当に一歩ずつ着実に会談を登って、挑戦権を得て、かつ1次を突破、リーグ王者と堂々と渡り合ったことは、野球ファンのみならず、いろいろな立場に置かれている人々に相当の勇気と感動を与えたに違いない。

レギュラーシーズンの順位ばかりが取り沙汰されるが、日ハム、ソフトバンク楽天の得点をみれば、日ハム689点、楽天598点、ソフトバンク600点。この中で楽天は3位だが、リーグ全体で言えば、最下位のオリックスよりちょっと上、という有様である(そういう意味ではソフトバンクも、よろしくはない)。
かたや失点が日ハム550点、楽天609点、ソフトバンク591点。

勝つべき時に勝ち、負けてはいけない時に負けなかった試合が多かったのだろう。
当たり前だろうが、相対的な勝ち負けもそうだが、次期はこの得失点、本塁打、打率、防御率をいかに上げていくか…
このあたりの講釈、CSの内容については真の野球ファンに熱弁をふるってもらえばいいとして、成績面からいえば「それほど悲観的になることはない、やれるべきところまで十分にやったんだ」と讃えてよいのではないだろうか。

趣味や娯楽が多様化して、プロ野球中継が減少したこの日本において「野球といえば楽天」といってよいほどスポーツニュースを独占し、かつファンを動かし、それまで野球に興味がなかった人々を球場やテレビに向かわせたのは、いうまでもなく野村監督の最大の功績だろう。
にわか楽天ファン(といっても、最長ファンでもファン歴5年ということになるだろうが)の筆者でさえも、CS初戦の劇的な逆転負けは、1993年、忘れもしない『ドーハの悲劇』と同等のショックに襲われ、心臓が高鳴り、悔しさで眠れぬ夜を過ごしたのだから、コアのファンの心情を察するに余りある。

監督ばかりが脚光を浴びるが、選手たちだって相当の苦労があったに違いない。
山崎選手が「最初は本当に苦労した」と語っていたが、当初は「試合をする」という雰囲気すらチームにはなかったという。
100敗近い数字は、個々の能力よりも、組織が組織として動いていなかったのだろう。
チームプレーとはいえ、少しでも成績が悪ければ代役が現れる厳しい世界において、現役でありながら後進の指導に注力した選手たちには、本当に頭が下がる。

そうして一歩ずつ頂に向かって登る姿を、自らの立場に重ね合わせた人々は沢山いるはずである。
最初から強かったわけではなく、時間をかけて強くなったのだ、と。
特に大都市圏から経済的にも「置いてきぼり」をくらっていると劣等感を抱く東北人にとって、たとえ球団や選手が東北に縁がないとしても、相当の勇気と感動を得たはずである。

岩隈が「まだまだ若いチーム」といっていたが、まさにその通り。
さらに5年、10年すれば、東北に縁のある選手やスタッフが現れるだろう。

ここが非常に大切なことである。
「単に仙台に本拠地、スタジアムがある球団」として継続するならば、極端な話、球団は何処でもいい。
特に仙台市民、宮城県人にはかつてのロッテ本拠地時代のトラウマがある。
あまりにもビジネスライクに球団運営に走れば、ファンは離れてしまう。

以前、全国転勤型の営業マンたちに東北の経営者について質問したことがある。
すると、おしなべてこう言うのである。
「最初はとっつきにくいし、こちらのススメにもなかなか乗ってこない。その代わり、一度契約してくれたら、とことんまで付き合ってくれる」
ビジネスの話と100%重ね合わせることは出来ないにせよ、ここで間違った方向に進めば、チームの成績とは関係なくファンは離れてしまう。
たとえ選手の意思に反していたとしても、思いのほかファンには届かないのだ。

筆者の小学生になる息子が「楽天が勝った時、学校でも何かイベントがあればいいのに」と言っていた。
公立小学校が公式に特定競技の特定組織を後押しすることは出来ないのだが、出来ないことばかりを言っても仕方ない。
チームとしては動かなくても、現に「イーグルスエンジェルス」のメンバーが小学校を訪問したこともある。

ごく自然に、しかも大して野球に熱心ではない子供がそういう考えを持っていることに正直驚いた(息子のクラスメイトが、某選手のお子さんということを差っぴいて
も。本人たちが盛り上がるのは野球の話題ではないらしいので)。

うまくはいえないのだが、そんな小さなことをコツコツと積み重ねていけば、野球少年少女たちがいつしか「イーグルス」を目指すのではないか。

イーグルスにもベースボールスクールがあるじゃないか、という声もあるだろうが、重要なのはロジックではない。

哲学が伴った球団運営にならなければ、民主党政権の八ツ場ダム、羽田空港の問題と同じになる。

いろいろな思惑で産み落とされた仙台で、育った鷲がどんな風に飛び回るのか。

新たなステージは、もう始まっている。