ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

書き始めることに、非常に迷ってしまう放射線の話

本当は、もっと感情的で激情が文脈からあふれ出していて、まさに文章が暴れ出していたのですが、2、3日経ってから読み返したら、自分自身が興奮していたのが分かったので、読みながら、書きなおしながら、投稿してみました。

何に感情を昂らせていたのかというと、放射線量に対する一般人のブログの内容でした。
「○○県産の■■から基準値以上の放射線が出た」
「どこそこへ行くと、被曝する」
「もう、▽▽の××は要らない」

また、仙台市教育委員会は、保護者からの訴えにより、学校のプールの放射線量を測定して、安全が確認されるまでプールの使用を中止するのだそうです。
でも、校舎の水道をどうするのか、休み時間校庭で遊ばせてもいいのか、雨の日の登下校はどうするのか、そもそも家庭の水道水はどうしているのか…ツッコミどころは満載なのです。

確かによく分からないものに対する恐怖は理解できます。
が、基準値といっても、なぜ、その基準なのか…それも非常に疑わしい。
研究者といわれる人々も、言っていることはバラバラだし。

それはそれで、仕方ない。
が、許せないのは、自分で勉強したわけでもない、ちょっと新聞や週刊誌やネットの文書をもとに、無責任なブログを書く、一般人だ。
「どこそこの野菜が基準値を超えた」だの、ともすれば、自分だけは安全圏内にいて「ほらほら、被災地の人たちって何も分かっていないんだよね。本当はこういうことなのにね」としたり顔で、ご丁寧にブログで解説していたりする。

良かれと思って書いているのかもしれないが、どういう角度から読んでも、ひとつも前向きではない。
成績が悪い劣等性に向かって「勉強しないから、成績が悪いんだよ、君は」と指摘してるのと同じだ。
どうしたら、成績が向上するのか、分析も出来なければ、指導も出来ないのに、欠点だけをあげつらう大人と同じ行為をしているのに、まったく気づいていない。

放射能は危ないんだろうし、原発もリスクのある手段だ。
でも、そのかわり、どうするのか。いま、すぐ、この瞬間に全ての原発を停めていいのか。
電力の供給不足に対して個人も法人も産業界も対処できるのか、その覚悟はあるのか。

かたよった言動は、矛盾を発生させる。

環境保護を訴える一方で、原発やCO2を出しまくって作った製品に依存する団体。
アンチ中韓と声を荒げる一方で、同国との輸出入で得られた製品やサービスを利用する愛国者

「じゃあ、どうしろというのだ?あんただって、ここにアレコレ書いているじゃないか?」
と、詰め寄られそうですね。

本当に福島原発が心配で、怖くてしょうがない、命が一番というのであれば、5万ドルくらい用意して、フィリピンの永住権でも取って、海外で暮らしなさい。
日本にいてはいけません。
もちろん、海外生活を維持するための能力や、あらたに発生するリスクもあるだろうが、少なくとも福島原発由来の放射性物質からは逃れることが出来ます。

そんなこと、現実的ではない、というのであれば、日本で暮らすしかない。
自分が信じる基準で行動するしかない。
そして、それをわざわざ、他の人々にお知らせする必要はないのです。
お知らせしても、奨める必要はない。

どうしても、書きたいのであれば、10行ごとに「これは私が週刊誌やインターネットやその他書籍に書かれてあることを読んで、自分なりに分析して、確信して行動していることを書いているのであって、あなたにとって決して正しい手段、答えになるとは限りません。そう思って読んで下さい」と、念を押さなければならない。
ちょっと前まで、放射性物質の名称も、特徴も知らず、人体への影響にも明るくないのに、よそで聞きかじったことを自分の知識であるかのように他者へひけらかして(おそらく、他者に対して優位に立ちたいだけの、目立ちたがりな精神の裏返しなのでしょうが)、他の人を扇動しなければいいのです。

おそらく、そういう人に「あなたのブログに書いてある通りに行動して、結局、それが間違いだった、過不足があった場合、責任を取ってくれますか?」と聞いても「私が言っているんじゃない。○○大学の■■という教授が言っていることを書いただけですから」と逃げられるのがオチです。

と、ここまで書いたのを振り返っても、相当怒りがにじみ出ていますね(笑)。
まあ、とにかく、そういう怒りがずっとわだかまっていて、ここのところ、何も書く気がなかったのです。

もし、気分を害された方がいたら、お気の毒さまでした、もうここにきて何かを読むことはしない方がいいですよ、としか言いません。
謝罪したら、ここまで書いたことが、ウソになりますから。