ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

リヤカーさっちゃん

現在「オーストラリアよりZイズムを込めて」の加筆修正作業中です。
思いのほか、大変な作業です…
そんななか、このような写真を見つけましたので、先にご紹介。
イメージ 1
1990年代、オーストラリアを旅する者の間では「伝説」として知られていた女傑。
ご覧の通り、リヤカーではなく手押し車で…というより、日本の面積22倍のオーストラリアを徒歩で旅していた女性だ。
「歩くっていったって、時間をかければ何とかなるでしょう」
とかおっしゃるアナタ、機会があれば張り倒して差し上げます。

今は分かりませんが、当時、オーストラリアには300km近く道路しかない場所が点在していました。
ということは、水も食料も携帯電話の電波も何もない、質の悪いアスファルトの道だけが地平線に向かって伸びているだけ。
すれ違う車も1日に何台いるか?という感じ。

おまけに、当時はFacebookだのtwitterというSNSもありませんから、さっちゃんに限らず、オーストラリアで名をはせていた有名人は大半が伝聞形式で語り継がれ、実際にその人と会った、という話はごくまれでした。
あるいは、実際に会ったとしても、人々の口から口へ伝わっている間に「金魚の尾ひれ」状態になり、1のことが5だの10だのに水増しされていることもありました。

なので、ワタクシ自身も「リヤカーさっちゃん」については懐疑的でした。
ところが、本当に居たんですね。

彼女の走行…いや歩行距離は1日20km。
当時、彼女は西オーストラリアの州都パースから海沿いに北上、ノーザンテリトリーのキャサリンまで、約3900kmの道のりを単独で歩いている途中でした。

毎日、休みなく歩いても193日かかる計算です。
つまり半年以上もこうして彼女は歩いていたわけです。
もちろん、コンディションによってはグイグイ歩ける時もあるでしょうが、天候によっては足止めを食うこともあったと思います。

ワタクシは、ただただスゴいと驚いたのですが、既に彼女はダーウィンからアデレード(3300km)、アデレードからパース(2700km)を踏破。
この旅は集大成だったとのことです。

彼女のことについては、当時ミスターバイク誌上でも書かせて頂いたのですが、WEB上でリヤカーさっちゃんに着いて触れているコンテンツはあまりありませんね。