この頃、いくつかのSNSに「何かのSNSらしきもののアカウント画面のスクショ」を投稿するのを散見。
きけば「CLUBHOUSE」という招待制のSNSだという。
ああなるほどね、昔のmixiみたいなものか。
iOSで英語版しかリリースされていないから、インストールには苦労した、みたいなコメント出している人もいたけど。
まあ、そうやって新しいものを追いかけるのは悪くないだろうけど、これ見よがしというか「私は招待された側の人間。で、あなたは?」というセリフが見え隠れする投稿もあって気持ち悪い、と思うのはandroidをメインに使っているユーザーのひがみに聴こえるだろうか。
日テレのシューイチでも取り上げられていて、ビジネスにも活用しているシーンが紹介されていたが「iPhoneもしくはiPad」を使っていて、かつ招待されてアカウントを持っていないと、そこに混ざるチャンスさえないことを問題視しないのか?と。
さらには「ヘイトスピーチ、いじめの温床になる可能性もある」という危険性を指摘しながら「分別のある大人が使うアプリ」という趣旨のコメントでまとめていた。
分別のある大人だったら、最初から使わないんじゃないの?
人間は大昔からこういう線引きが大好きで、古くはイギリスの中流階級以上、限られた人達しか入れない「飲み屋」があり、その対極にあったのが労働者階級をはじめ誰でも気軽に利用できる「パブリック・バー」。
パブの語源になったスタイルである。
Facebook、Twitter、Instagram、WhatsAPPなどSNSは、誰でも簡単にアカウントが作れて、最近垢BANされたトランプ元大統領のような世界最大の権力者も、ビルゲイツのような世界有数の資産家も、やっとのことでスマホを使っている生活の苦しい貧困層の人々でも、平等に発信したり、投稿を読むことが出来る。
最近は運営する側の「見えないコントロール」が問題視されているが、大多数の人は投稿や閲覧に大きな制限なく自由に、そして無料で利用できている。
ところが、やっぱり人間って「私は特別な存在になりたい」と思うんだろうね。
商品だってわざわざ「限定」って名を入れるのも、そういう気持ちをくすぐるからだろう?
CLUBHOUSEは「招待制」、インストールに英語の読解力が必要、おまけにイケてる国の象徴、アメリカが発祥…これまでのSNSに食傷気味だったユーザーのハートを射止めるには十分過ぎたからこそ、こうやって急速に広まったんだろうね。
気づいている人がどれだけいるか分からないけど、それまで飲み屋に入れず、仕方ないから誰でも入れるパブに社交場を作った労働者たちが、今度はそこで「オレたち仲間だけの場所を作ろうぜ」と言い始めた。
やられて悔しかったことを自分たちがやっているというね。
「いやいや、それは悪く取り過ぎ」
と嗤われるかもしれないが、少なくともアカウントを作ったユーザーが「オレは運よく、縁あって招待され、アカウントを作れたけど、結局これってマウント取りたいだけじゃない?」といったことを言っているのを見たことがない。
あと少しでAndroidにもリリースされるだろうし、招待制も一定数まで到達したら、mixiのように登録制になる、というのが個人的な予想。
じゃあ、あんたが招待されたら作らないのかよ?
と聞かれたら、あまり興味ないし、誰かがしゃべっているのを延々と聞いてないとイカンのでしょ?タレントがオールナイトニッポンみたいに何か喋っているのは聴いても面白いかもしれないが、その辺の素人が喋っていることを聴いてもなあ。
それこそTwitterに短くまとめて置いとけよ、と思うわ(笑)。