ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

今年もよろしくお願いします

お久しぶりです。
新年のあいさつもまだでした。
今年もよろしくお願いします。

新しいサイトも更新が遅れてました。

ぜんぜん話は関係ないですけど、こないだ、Amazonの動画配信でエヴァンゲリオンの映画やってまして。
家族が観てたのをチラチラと眺めてたんですけど。
TV版のラスト、人類補完計画というのは、個々の境界線を物理的にも心理的にもなくして、ひとつになろう、そうすれば、価値観の違いで誤解や争いも生じない。
でも、ひとつになると多様性が失われたり、かえって不安や不自由を生むこともある。
どっちがいいとか悪いとかよりも、その辺をバランスよく考えていくことが大事なんじゃないの、という形で物語は締めくくられた、という感じで自分の中では理解しています。

ほかの作品、永野護ファイブスター物語の2000年代あたりでも、かつて栄華を極めた「超帝國」の人々は、最終的には肉体も精神もあり方を変えて、ハチの巣のようなところで集合体となって生き続けるようなシーンがありました(999の惑星ラーメタルを思い出しましたよ、おじさんは)。

SFならではの世界観だと思っていましたけど、Face to Face(じかに顔を合わせなくても、手紙や電話、著書など)でなければ分かり得なかったことが、SNSの台頭、普及によって、たとえば、ワタクシの生活の一部が写真と共に簡単に切り取られ、ネットニュースとリンクさせることによって、世の中の出来事に対して、どう感じているかを克明に知らしめることができたり、あるいは、それを装ったり、つまり、真偽のほどは別としても、ネットを通して個人の姿が鮮明になり、さらには、そこでコミュニケーションができるようになって。

端末は必要ではあるけれど、仮想空間を通じて、その先に居る人のことが(たとえ、100%ではないにせよ)理解できたり、交流できるということは、個人同士の垣根がぐっと低くなったと思うのです。

反面、御存知の通り、SNSが悪用される事件も相次いでいます。
ことさら、SNSが悪いような感じですけど、何十年も昔、携帯電話もインターネットもなく、草野球チームに入ったり、みんなで雀卓を囲むほどアクティブじゃない人たちが、新しい出会いというか、ランダムに知らない人とちょこっとだけ、コミュニケーションを取れる手段として選ばれたもののひとつとして、アマチュア無線があります。

ネット上のハンドルネーム同様、ひとりひとりにはコールサインが渡され、基本的にはお互いをコールサインで呼び合います。普段学校や職場で会っていても、名前ではなくコールサインで呼びかけます(そういう法律だったのでしょうがないかもしれませんが)。

ある意味、そこも仮想空間なわけで、職業も立場も年齢も性別も違う人同士が、上下関係も差別もなく、コミュニケーションをとっていました。コールサインは国から与えられた唯一無二のもので、最終的には個人を特定することも可能だったわけで、それもあって、あまり無茶なことをする人はいなかったんですが、たまに、楽しそうな会話をしているグループに割り込んで、会話を妨害する連中もいたりしました。
名乗らなければ、何処の誰かは分かりませんから、妨害された方が憤慨している様子を聞いて、痛快な気持ちになっているのでしょう。

つまり、人間は、安全圏にいると、意地悪な気持ちになったり、普段は言えないこと、やれないことも出来ちゃうわけです。これは、顔が見えて素性がばれても、関係ありません。

現に、こないだの都立高校の先生が生徒を殴ったこともそうでしょう。
彼は殴られるリスクが100%ない、自分は絶対安全圏にいると確信しているから(実際は殴られましたけど)、ああいう行動に出たわけです。

この記事も同じような感じです。
「どうせ、手出しできないだろう」というのが、本音でしょう。


これ、暴力団の事務所前で演奏している人たちだったらどうですかね。
「こんなところで堂々と演奏しているってことは、マフィアのお墨付きってことだろ」
「さすがに度を越したことは出来ない。やめておいた方がいい」
と、防衛本能がはたらくでしょう(それを越えて冒険する輩もいるかもしれませんが)。

SNSがあろうがなかろうが、何かにつけて、こういうことが起きるのが人間なわけですから、必要以上にそれを抑制しちゃ駄目だと思うんですよ。

体罰も、先生が生徒に逃げるチャンスを与えて、逃げたことによって評価は下げない、というルールでもつくって、そのうえでなら、殴ってもいいことにしたらいいんです。
人権とか法律とか無視したこといってますけど(笑)。
先生も「こんな生徒がいます!マジキチ!」とかいって動画をアップしていいことにしたらいいんですよ。

そんなことすれば、エスカレートしていくのは目に見えているので、舵取りの方向は良く考える必要があるんでしょうけど。