ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

贈る言葉 Instagramからの転載

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自分の周りでも…それこそ自分の家族も卒業を迎えました。
タイムマシンがあったら1年生からやり直したいくらい、メチャクチャ楽しい日々を過ごした人たちもいれば、たいして楽しくもない学校生活から抜け出してせいせいした、という人もいるだろう。
4月からの新しい生活にワクワクが止まらないハッピーな連中もいるだろうし、先のことを考えると不安で仕方ない、もしくは先すら何も決まっていなくてお先真っ暗、という人達もいるだろう。

残念ながら、いまの日本は若者に素晴らしい未来を連想させることは難しい。
昭和の時代は、何かを一生懸命、誠実に取り組めば道が拓けたし、群れの中で少し浮いた存在でも、それも価値のひとつとして認められてきた。
だが、いまは少数の人間しか気づかない法則を「マイニング(発掘)」して、ライフハックのような知識と技能で多くの利益をあげることが称賛され、ダイバーシティ(多様性)を重視する社会といいながらも、規格外の人間が生きづらくなっているのは、昔以上かもしれない。

DX(デジタルトランスフォーメーション)が進むにつれ、誰でも自由に様々な情報にアクセスできるようになる。
この技術から目をそらして生きることは出来ないが、万能だと思うのは早急だ。

たとえば、高校や大学に進学するならば…
スマホやマウスを操作しただけでは、決してアクセスできず、たどり着けない人物がいるハズ。
それは、教授や先生かもしれないし、学年が上の先輩かもしれない。
そういう人間と出会って関係を築くことが、ITの優位性を上回る唯一無二の方法だ。
だが、レアな人間がせっかく向き合ってくれても、自分がつまらない人間だったら先に進むことは出来ない。

誰もがアクセスできるフリーの情報も同じように、玉石混交だ。
金の価値を持つ情報もあれば、単なる泥だったりもする。
目の前に流れる無数の情報を取捨選択する能力が要る。

レアな人間と渡り合い、金の情報を見抜くために必要なのは知識だけでは不十分だ。
そこで、はじめて「教養」が必要になる。

世界地図を見てすべての国の名前と首都の名前が言える。
それもまた素晴らしい蓄積だが、それだけではダメだ。
国の成り立ち、どんな文化が存在して、それが人々に与えた影響。
それに対する自分の意見。
ここまでセットにして、はじめて「教養」になる。

自分の言葉を持たない人間を知識人は相手にしない。
Wikipediaで調べられる情報を両腕に抱えていても、何の道しるべにもならない。

そのやり方を学ぶのが、学校だ。
残念ながら、そのことに自分が気づいたのは、3月が何十回も過ぎてからだ。
でも、学ぶことは、いくつになってからでも出来る。
大人になると、つい「いまさら勉強しても遅い」「そんなことを身につけても1円にもならない」と手をつけようとしないが、それは正しいことじゃない。
自分が学んで身に着けたことだから、話す内容に説得力があるし、何より聞いているだけで楽しい。

リツイート、リブログ、リポストだけじゃダメだ。
自分の言葉で伝え、話し、表現する。

もう一度言うけど、誰にでもアクセスできて、海の表面にプカプカ浮いているような情報は、すでに手垢まみれだ。
そんなことを集める作業に時間を費やしてはいけない。
現実世界を目の皿のようにして歩き、現実に生きる「レアキャラ」を見つけ出す。
そして、レアキャラから本物の知識と情報を引き出す。
見返りは、自分自身の生きた知識と教養だ。

そんなことを繰り返しているうちに、いつしか自分が他の人たちにとっての「レアキャラ」になる日もくるだろう。

それを繰り返して、自分だけの学生時代を過ごせば、何年後かに訪れた3月に晴れ晴れとした気持ちでいられるだろう。

大人は、待つことなく、3月を自分で引き寄せることが出来る。
いますぐ、やるべきだ。

以上、Takeda版 贈る言葉でした