ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

来々軒

本塩釜駅を正面に立つと、ロータリーの向こうを左右に走る道路がある。
こいつを左に歩いて、ひとつ信号を越えて、もひとつ交差点が出てくるので、そいつを渡らないで左から振り返ると、そこに茶色のビルがある。
ここが来々軒
塩竈三大ラーメン店のひとつといわれているらしい。

ちなみに、メニュー的には「ラーメン」ではなく「中華そば」と表記。
スープはあっさり魚介系の味。
コレ以上だと魚の味がエグくなるし、コレ以下だと味に深みがなくなる。
麺は縮れ麺ではなく、白くて細くてまっすぐな麺。
具は極めて一般的。チャーシューも流行のトロっとしたヤツじゃなくて、あの汁っけのないというか、昔からよくあるチャーシュー。
悪く言えば、パサパサしてる、あのチャーシューだ。

ノーマルタイプのラーメンでも昨今ではいろいろな具が乗っかっているから、ソバでいえばかけソバのような雰囲気、たとえて言うなら、いい年こいて化粧っ気のないレディーみたいなラーメン。

ところが、これが旨い。
旨いのだが「食ったァ!」という、何かを制圧、制覇したような気分ではない。
朝ごはんを食べ終わり、最後に半分くらい残った味噌汁をズズーっとすすった時と似ている。
ようするに、味噌汁がごとく、毎日あきることなく、食べることが出来るラーメンなのだ。

先の女性でたとえれば、いい年こいて化粧っ気はない、着ている服もぱっとしない、それでもカワイイ、美しいような感じだろうか。
そして、そこには寸分のイヤミもない。

だから、昼時は平日でもそこそこの行列が出来るし、いつ行っても誰か客がいる。
そして、驚くべきはその客層だ。

旨いといわれるラーメン屋の客層・・・だいたいは若者、すなわち胃袋が丈夫な世代だろう。
が、この店の場合、お年寄りの率が非常に高いのが分かる。
いや、いくら塩竈にお年寄りが多いとはいえ、ラーメンをわざわざ選ばないだろう。
ほかにも食い物屋、それこそ蕎麦屋だってあるんだから。

それでも、ここに来るのは、安心感があるからだ。
毎日でも食べられる、優しい味に惹かれるからだ。
ジイサン、バアサンたちだけじゃない。
オレたちもそうだ。

ここにくれば、あの味に出会える。
「中華そばね」と頼めば「ひとつでーす(これは中華そばを意味する)」と厨房にオーダーを渡すあのおばさんの声も、魅力であり、フレーバーのひとつなのだ。

アブラギトギトのコッテリラーメンばかり食って「ラーメンマニア」を名乗る者よ。
たまには、お吸い物、あるいは家庭の味噌汁のようなラーメンも食べるべきではないか。


とかいいつつ、オレは「食ったあ!!!」と大満足したいタイプ(笑)。
そんな無粋な同輩には、タンメンをオススメする。
実はこのタンメン、もっと評価されてもいいのではないか、と思う。
タンメンの醍醐味といえる香ばしく炒められた野菜と塩味のスープのバランスが絶妙なのだ。
中華も美味しいし、来々軒の看板ともいえるんだけど、タンメンも試してみてくれ、といいたい。

ついでにいうと、チャーハンも美味。
ぱらり、ぱらりと米のひとつぶひとつぶが離れる基本を押えている。
これもまたね、オーソドックスで、それほど珍しくもない。
しかし、しかしながら、こいつを食うのと食わないのでは、満足感が違う。
食わないで出てくると「ああ、食っておけばよかった」と後ろ髪を引かれる。
お腹に余裕があるのなら、お試しアレ。


塩竈市は、いつの間にか人口60000人を割り込み、非常に元気がなくなっている。
2008年現在、燃料高騰の影響で、各漁業団体は休漁を決め込んでいる。
200カイリ以降、水産業は決して堅調とはいえないが、それでも塩竈は「魚のまち」として全国に知られた街だ。
「期待するだけならラクだよ」といわれそうだけど、やっぱり何とかならんものか、と思う。

本町から駅までの商店街を見ると、閉まっている店が多い。
波打ち際に作った砂の城がごとく、この町のヒト・モノ・カネは時間と共に小さくなっている。
イオンが出来たけど、決して明るい未来が見えているわけではない。
これといって打開策もない。


それでも、だ。


来々軒が、ここでこの味を守る限り、塩竈は大丈夫。


なんでそう感じるのか分からないが、食べ終わった後はいつも、晴れやかな気持ちで暖簾をくぐるのだ。