ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

楽団四季 珠玉のメドレー





時は室町、臨済宗の僧にして、京都大徳寺の住持の地位に就きながら、
腐敗堕落した禅院に敢然と立ち向かった一人の男がいた
いなみは宗純、号は狂雲…そしてその名は…


このMCで始まる一休さん
我々はメタル一休さんと呼んでいたが、スラッシュなのかもしれないし、ハードロックという人もいた。
しばしば議論になったものだが、多くの人たちから「カッコいい」と言われた。
アレンジ担当としては、してやったり、の気分である。

楽団四季に、というよりワタクシのポリシーとして「最初からカッコいい曲は却下」していた。
というわけで、マジンガーZガッチャマンは却下。
なので、一休さんを選んだわけである。

当時はインターネットもなかったから、原曲はカラオケボックスで何度も聞いてコードと歌詞を集めた。
でも、実はアレンジの元になったのは、一休さんの予告編をやる時のBGM。
記憶が確かなら、主題歌をフィーチャーした曲だったハズ。これが意外にカッコよい曲だと記憶していたので、展開やコードは、むしろ記憶から拾っていった。
ソロの部分は全くの創作になるため、ギターのTetsuyaに何度もコードをバッキングしてもらって決めた。
この時、ギターで参加していたため、ソロも弾かなければならない。
しかし、ソロなんてハイウェースターがやっと弾けるようになった程度で、オリジナルなんてとても思いつかない。
しかたないので、ピアノでリフを決めたら、鍵盤とギターの運指が全然違うので、当初はとんでもなく弾きづらくなった。
タッピングで誤魔化しているのは、そのせいである。


93年は「学園祭」のノリ。
最初はビジュアル系のメイクだったのに、みんなであれもこれもと試したらコントのメイクのようになったり(画像が悪いため、よくわからないだろうが)、ステージ慣れもしておらず、ワタクシはシールドを踏んづけて抜いてしまったり、エフェクターも使いづらい場所に置いていたりしているのが分かる。

一方、95年のステージは、音を出しているが「寡黙」だ。
余裕はあるが、落ち着き過ぎていて、まるでスタジオ練習の延長のようで、自己の世界に没頭している。
目の前の観客を忘れてしまっているかのようだ。
もしかすると、ネタ切れというか、マンネリズム然としたスタイルに疑問を抱いていたのかもしれない。
テンションの低さを見ても、よく分かる(楽屋は楽しそうなんだけど)。
本当なら、ムードメーカーのワタクシが、もう少し皆を盛り立てていければよかったんだろうけど…
当時は「数あるライブのうちのひとつ」としか思っておらず、まさかこれが最後のライブになるとは思ってもみなかった。

実は98年の暮れか99年の初め頃、一度だけスタジオに入ったことがある。
皮肉なことに最後にカバーしたのは、Mr.BIGのStay togetherである。
明るい曲なんだけど「どんなに君を愛していても、傍にいて欲しくても、僕たちはもうこれ以上一緒にいられない」という歌詞だ。

歌詞の通り、ドラムのひこさんはスティックを握る代わりに、ギターを弾き始めた。
Tetsuyaもワタクシもフレットに触ることもなくなり、Junyaが歌う場所はカラオケスナックのカウンターとなった。
多分、バンドのことを思い出すのは、年に何度あるかないかだろう。

それでも、いつか、また4人が集まる時が来るかもしれない。
同じ歌を歌う必要はないと思うし、過去をなぞるだけじゃ、つまらない。
30代、これから突入する40代、いつか訪れる50代を生きたからこそ、生まれる歌もあるはず…

どういう形で集まるのか、イメージも湧かないけど、いつかまた集まる日を夢見ながら、日々がんばって生きていきます。