ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

2023年もよろしくお願いします

自分がインターネットに触れ始めたのは1998年から。
当時は、まだ知る人ぞ知るガジェットで、携帯電話の普及率よりも低かったはず。
それでも、当時、時代の最先端を行っていた人たちは「ホームページ」を開設、いまでいうブログのように日々更新されるコンテンツを日記形式でアップしていた。

あと、リンク集ね。
同じような趣味の人が運営するサイトを紹介するページ。
ああいうのも、あまり見なくなった気がする。

たまに、かつて「相互リンク」を貼っていたサイトを見に行くと、ほとんど残っていない。
無料のブログサービスに移ったユーザーもいれば、mixiTwitterFacebookなどのSNSへ移行した人もいるだろう。

自分の場合、本家サイトはヤフーでスタートして、途中でブログを開設、さらに途中からhtmlコンテンツをFTPでアップロードする方式から、独自ドメイン取得をきっかけにWordpressにフルモデルチェンジした。

 

Wordpressはブログを兼ねているので、BBS(掲示板。これもなつかしい)代わりに設置したこのブログの存在価値もないのだけど(そもそも月間のPVが100程度なので、これを隅々から読んでいる人は皆無、といってよい)。

 

しかし、いつの日か、誰かが何かを追い求めた時に、このブログがほんの少しでも役に立つかもしれない。
いつの日か、現れる子孫でモノ好きなヤツが、祖先のルーツを探ろうとするかもしれない。
Wordpressは管理費用が支払われなくなった時点で消滅するが、無料サービスは、会社が続く限り残る(サービスが終わればおしまいだけど)。


あと何年生きられるか分からんけど、とりあえず、ここに遺して、あまり本サイトとは関係ない話などは、ここに書き留めたおこうと思います。

 

続編とリブート

続編話題作といえばトップガン・マーヴェリックでしょう。
自分も2回、映画館へ足を運びました。

アメリカ・ファーストになった米国が、はたしてあんな作戦を実行するかというと、現実性に欠けるというか、日本の警視庁公安部が実は腕利きの情報員、工作員、諜報員の集まり、というくらいリアリティがないんだけど...

強いアメリカを取り戻そうという支持層にはウケるんでしょうね。

 

長い時間をおいて作られた続編として、個人的に期待したのが
男はつらいよ お帰り 寅さん」。
ちょっと前だけど、これもまた映画館へ行き、配信でも何度か観ました。

寅次郎ハイビスカスの花 特別篇が実質的なファイナルかと思っていたんだけど、満男が主人公となり、過去のシーンを織り交ぜながら、満男と満男にとってのリリーさん、泉ちゃんと再会する。

どこまで本心だったかわからないけど、山田洋次監督は、49作目で満男と泉ちゃんを結婚させて大団円としたかったらしいんだけど、本作では満男と泉ちゃんの関係は「過去のもの」となっている。

まあ、それはいい。
大恋愛が必ずしも結実するとは限らない。
けど、あれだけ母親に縛られて生きてきた泉ちゃんが、はたして単身ヨーロッパに渡り、なおかつ外国人と結婚することが出来るだろうか?
東京と名古屋の距離すら耐えられなかった母親ですよ?

人の人生なんかどうなるかわからないけど、満男は小説家になり、泉ちゃんは国連難民高等弁務官のキャリア、というのは飛躍しすぎ。
個人的には、満男には靴販売会社のセールスマンとして中間管理職になり、諏訪家に嫁いだ泉ちゃんは、タコ社長の印刷会社の経理や事務員として働きながら、慎ましやかながらも幸せに過ごす、それを寅さんが揶揄しながらも暖かく見守る、そんな姿が見たかった。

てのは、あくまで個人の感想だし、そんなことを言うなら、そんな話を自分で作ればいいわけで。
ただ、やっぱりどうなんだろうな、と思うのは、泉ちゃんの実父。
寅さんをずっと観てきた人ならわかる通り、泉ちゃんの実父は寺尾聡だ。
朴訥とした物静かな人で、おそらく夏木マリとは性格が合わなかったのだろう。
宮崎美子が演じる、これまた大人しそうな薬局の女性とくっついてしまったのも、なんとなく頷ける。

なのに、今作では橋爪功になり、性格も「家族はつらいよ」の主人公が悪い方へ年を取ったようなキャラとなっている。
寺尾聡が橋爪功になったのは良いとして、何であんな風になるか。
寺尾聡をキャスティングできなかったせいなのかわからんが、あのエピソードが物語のキーにはなっていないし、満男が相変わらずお人よしだった、というキャラ属性を浮き彫りにしただけだった。
いやいや、泉ちゃんとお母さんの衝突があったじゃないか、というかもしれないけど、母親を置いて世界中を歩き回る娘、それを許した母親がいまさら白々しくない?

と意地悪な感想を抱いてしまった。

結局、満男と泉ちゃんの邂逅は何だったのか。
編集者、池脇千鶴と泉ちゃんとの間に揺れるわけでもないし、最後のキスシーンも泉ちゃんをイヤな女に描いただけだった気がする。
満男は晴れやかな気持ちになって別れたのかもしれないけど、こっちはモヤモヤばかりが残った話だった。

渥美清がいないのに、無理やり作ったのは「これをやればヒットする」のが分かっていたからだろう。
現に興行収入的には、それまでの作品と似たような感じになっている(収益性までは分からないけど)。

映画大国アメリカも、こんな感じで続編やリブートが多く作られ、ファイナル感を出した作品ですら、キャラクターを一新して続編を作り続ける。

割と好きだった「トランスフォーマー」も映画はもちろん玩具が売れたから、いろいろと作ったんだろうけど、途中で話を広げ過ぎたのか、いったい誰がプロットを作っていたのか分からないが、素人目から見てもおかしい、となったあたりで広げた話や設定を回収できずに終わった気がする。

 

マーケティングという観点からみれば、明治・大正うまれの年配者がまだたくさん生きていた頃、各局が時代劇をつくるのは当然だし、ベビーブーマーたちが大人になり、お金を自由に使えるようになったころを狙って、ゴジラウルトラマン仮面ライダーというキラーコンテンツをリブートしていくのもまた自然な流れなのだろう。

けど、それじゃ新しいものは作り出せない。
仮面ライダーウルトラマンは確かに偉大な作品だけど、それを超える物語をつくろうとチャレンジする作家とそれに応える制作側がいないと、何十年後になっても、顔ぶれが変わらなくなる。

 

やや期待がもてるのは、マンガなのかな。
鬼滅の刃のような作品が誕生して、そしてちゃんと売れた。
この事実だけでも、クリエイターたちには光が差し込み、チャレンジする勇気をもらえたんじゃないだろうか。

 

自分もあと何年生きられるかわからないけど、新しくて楽しい作品をたくさん観てから死にたいよね。

 

 

オーストラリア一周旅行を終えた25年後、やっと言葉に出来ることがある

未だ報道されておらず、SNSで流れてきた投稿に基づいて書いていることなので、事実誤認があったら後に削除する可能性もある、という前置きで。

ざっくり言うとこういうことだ。
2022年10月2日の夜、20代のバイク乗りが日本一周の後、自ら命を絶つことを示唆する投稿があった。
宛名や病院名が加工で消されているため事実は分からないが「多動性障害」の診断書が投稿に添付されていた。
最後に投稿したのは栃木県日光市のダムで、投稿から1時間足らずの後、ダムにはバイクだけが遺されていて、後に警察の捜索も始まり、真偽のほどは不明だが遺体が発見されたと警察から連絡があったという投稿も。

彼と同じ20代で、オーストラリアをバイクで一周したり、世界のあちこちを歩き回った。
旅を始めた頃はやることなすこと、見るもの聞くもの全てが初めて尽くし。
気分も上々だった。

だが、ゴールがちらついてきた頃、旅が終わったら直面するであろう現実社会と今の自分にギャップを感じることもあった。
自分が朝から晩までスロットルを握っている間、同級生たちは汗水流して働いている。
いい気になって走っている道路も、夜に走れる灯りも、昼間に頑張っている人たちのおかげなのだ。
じゃあ、旅を終えた自分には、何が出来るのか。
そもそも、世間とうまくやっていけるのか。

そんなような感情が生まれていたことは事実だ。

が、今になって思えば、大した悩みではなかった。
幼い頃、友達とケンカしたり、自分の思い通りにいかないことで癇癪を起したり、さらには世をはかなんだこともあったけど、ティーンエージャーになってみれば「バカなの」と笑えるし、ティーンエージャーの悩みも10年20年過ぎてみれば「何であの時、そんなちっぽけなことで悩んでいたんだろう」と不思議に思うことも多々ある。

30代40代になっても深刻な悩みはついて回るし、やっぱり世をはかなむこともあるけど、70代や80代になってみたら「この歳になってみろ、自分が死にたいかどうか関係なく、死と隣り合わせの毎日だぞ!」と一喝されるかもしれない。

そうはいっても、年下の人間は年上の説教なんか耳に入らないものだから、あえてアドバイスをするとするなら

「自分を疑え」

である。
自分も含めて、悩みを抱える人間は、たいてい100点満点とは程遠い人生を送ってきた連中ばかりだ。
何で100点を取れなかったか、それは大なり小なり人生の分岐点で間違いばかり選択しているからだ。

ということは「世をはかなむ」という選択も、往々にして間違っていると判断するのが論理的だ。
間違っている選択が多いのであれば、どこかで修正できる余地をもった道を選んだ方がいい。
この大宇宙では、いまのところ「死」を選択すると後戻りはできない。

先々を見据えた気になって「どうせ、こんなもんだろう」と悟ったようなことを言っても、満足に勉強も努力もしてこない人間の判断だから、デジタルネイティブたちが蔑視する、まさに「情弱」の極みであって、悟りとは程遠いものである。
  
死に様に正しいも間違っているもないかもしれないが、残された者たちの時間や労力を浪費させるのは事実である。
本当に人生にケリをつけたいなら、お金を貯めて海外に渡って地雷のひとつでも撤去してから死んだらいい。

それが出来ないのであれば、死ぬ前に、著者や出版社が実名と社名を出して責任をもって出版した本を100冊くらい読んでから、それが本当に正しいかどうか判断したらいい。
一冊1000円そこそこの本を100冊買っても10万ちょいだ。
金がないなら、どうせ死ぬんだから踏み倒すつもりで10万くらい借りたらいい。

もし、100冊の本を読んで「人生とは何だ」「人は何故生きるのか」という疑問が続くのであれば、それがやっとスタートラインだ。

歴史に名を残すような偉大な哲学者たち、彼らもまた同じ悩みを抱えながら、生涯をかけて謎の究明に取り組んでいたのだ。

彼らのようになれるかどうかは別として、人生を賭けた謎解きに取り組むのも悪くないかもよ?

 

塩竃市・伊勢模型店の思い出

塩竃市に「伊勢模型店」という老舗があった。
「あった」という書き方になったのは、しばらく闘病生活を送っていたご主人が亡くなったと聞いたからだ。
自分が記憶している限り、ご主人は独身だったし、闘病生活中、店は何年も休業状態だったから(時折、開けていることもあった)、少なくとも親族など近しい方が跡を継ぐことは無いと思う。

自分が伊勢模型店と出会ったのは、今から40年以上も昔だ。
多分、幼稚園か小学生にあがるかどうか、だったと思う。
スーパーカーブームだった時代、多分、親に「スーパーカーのオモチャが欲しい」とねだったのだろうが、どういうわけか伊勢模型店に連れていかれ、多分、モーターで動くカウンタックLP500Sのプラモデルを買ってもらったのだ。

当たり前だけど、10歳にも満たない子供が、スケールモデルを渡されても満足に造れるはずがなく、付属の接着剤でベトベトになって完成することはなかった。
ただ、その時にもらったタミヤのオマケ、いまでいうノベルティグッズが、パッケージイラストを集めた下敷きのようなもので、そこにドゥカティのMHR(マイク・ヘイルウッド・レプリカ)が描かれていて、その美しさとカッコよさに強烈な衝撃を受けたことを覚えている。

その後、順当にガンプラブームに乗っかって、小学生の間は親が本気で心配するほど部屋はシンナー臭に包まれていたが、普段、模型を購入するのは近所の駄菓子屋だった。
当時は駄菓子屋が玩具やプラモデルを扱うことが多く、どこの店でもいくつか模型が置いてあった。

伊勢模型店で買うのは、模型に使う工具や塗料が多かったが、小学校高学年の時、ラジコンブームが到来、お年玉を貯めて購入したのがタミヤのバギーチャンプというラジコンカーだった。

乾電池で動くオモチャのラジコンも持っていたが、ガチのラジコンカーは、巨大なモーターが搭載され、7.2Vのニッカド電池をエネルギーとしているものだから、とんでもなく速かった。

パッケージも巨大で、これを買った時、普段は結構おざなりに扱う伊勢模型店のおばちゃんが、雪がちらつく中、わざわざ表までやってきて「ありがとうございました」と仰々しく一礼した時には、VIP待遇を受けた気分だった(笑)。

その時は、伊勢模型店も古い店舗で、真ん中の棚を仕切りにするようにして、アニメモデルとスケールモデル、ラジコンなどを分けていて、店の奥におじさんとおばさん、そしてまだ髪の毛がフサフサでイケメンのご主人が座っていた。

高校に入った頃は、すっかりプラモデルから遠ざかったが、当時プレイしていた大戦略の影響でドイツ軍の対空戦車ゲパルトを買ったのと、演劇部の小道具づくりのために材料を伊勢模型店でそろえたのが、旧い店で何かを買った最後の記憶である。

店を改築してから行ったのは、大人どころか30歳手前で、無性にガンプラが造りたくなって1/60のPG版シャア専用ザクを買いに行った。
おばちゃんは、自分を覚えていたのか分からないが「しょっちゅう来ないヤツを客とは思わん」みたいに言われて「相変わらずだなあ(笑)」というようなやり取りをした。

それからさらに月日が流れ、何故か娘がガンプラにハマりだし、お祭りや初売りのたびに「伊勢模型店へ行こう」とせがまれた。

小学校の頃、正月になると年の近いイトコたちと連れ立って、伊勢模型店の初売りに行くのが何よりの楽しみだった。
初詣は行かないくせに、初売りだけは欠かしたことがなかったかもしれない。

いま、子供たちの数も半減したし、プラモデルを作る人口がどれくらいになってしまったのか分からないけど、世界的にはガンプラブームらしく、バンダイも国内市場よりも海外向けの販売に力を入れているのだそうだ。

これから、伊勢模型店がどうなってしまうのか分からないが、長年にわたって塩釜の本町商店街の「顔」として知られたお店なので、閉店してしまうのはホントに惜しい。

この店で活動していた模型サークルもあるし、そういう方々が中心になって継続の道を探れないものか、と思うのは外野の勝手な意見なのだろうけど…

木でもいいじゃない?

ツーリングのフルパッキング仕様。
ホームセンターで売っているケースに着替えや調理道具を詰め込み、テントと寝袋をくくりつけるスタイル。

林道アタックの際は、何があってもいいように空気入れも持参!
パンク修理キットもケミカルも入ってる念の入りよう(笑)。
ところが、無理矢理くくりつけたものだから、ケースの縁がシートに食い込んで、穴が開いてしまいました(涙)。

ソフトなツーリングバッグを買えばいいんだろうけど、へそ曲がりなので、誰もやらない方法で解決したい!

ということでリアキャリアを製作。

 

あちこち採寸して出来たのが、これ。

イス?小さなテーブル?

確かに、こんな風に使えるのですが…

本来の使い方は、こう。
バイク屋さんなら、鋼材であっという間に造っちゃうんだろうけど、DIYサンメカが溶接とか使わず、ノコギリやせいぜい電動ドリルで造れるキャリアとして完成させたかったのだ。

車体側のステー加工も、いっさい電動工具は使用せずに製作。
できるだけホームセンターで売っている、誰でも容易に調達できる材料で造りました。

空荷では問題なかったけど、実際に荷物を中に入れて運んだら、いろいろな不具合が出てきました。

キャリアを支えるステー。
フレーム側の強度不足で歪んでしまいました。
設計段階では、全ネジ一本で通していたんだけど、バラしが面倒くさいので分割に。

高ナットをかまして「一本」化。
これで、それなりのテンションがかかっても、歪みも曲がりもしません。

それから、キャリアの上で荷物が滑る問題。
バックル付きのベルトで締めあげたんだけど、水平方向のGには耐えられないみたい。

テーブルとしての美しさは損なわれるけど、致し方なく…
端材でストッパーをつくりました。

これで箱が前後左右にずれることが無くなりました。

バイクやクルマに「木」は強度や耐久性の問題から使われないけど、ツーリング専用じゃなければ、こういう感じもアリだと思う。


何より、キャンプ場で使った時の雰囲気が良い。

デニムやレザーはOKなんだから木でもいいんじゃない?
これ、もっと職人さんが凝ったように造ったら、良い感じになるんじゃないのかな。

30年以上、時が停まっている気がする

高校生の「進路資料」を目にする機会があった。
どこの大学に何人進学した、専門学校へ行ったのは何人だった、というやつだ。

そのなかに、就職の資料もあって、いま、令和4年、2022年現在、どんな事業所が求人を出しているか、とおそらく100社以上の求人が掲載されていた。

詳しいことは書いていないが、必要な条件はおおむね「運転免許(いまだと小型?)」だった。
なるほど、それはそうだろう、と。

で、いくらもらえるのか?

給料に愕然。
最低賃金はアタマに入っているから、まあそんなもんだろうな、とは思っていたけど、あらためてビックリした。

基本給で15万円前後だろうか。
20万円というのは、ほとんどなかった。
12万円、13万円というところもザラにある。

これになんちゃら手当がついたりつかなかったりするのかもしれないけど、基本給で15万か…

日本の労働者は基本的に週40時間までの労働。
1年間(365日)を7日で割ると、52週ちょい。
52週間×40時間=1年間の労働時間のMAXは2085時間になる(時間外労働含まず)。

で、月15万円の給料を12か月に直すと180万円。

年間180万円の給与を年間2085時間で割ると…時間当たりの給料は863円になる。
これだと、最低賃金を下回る可能性もあるのか…あるいは、年間勤務日数(所定労働時間)を減らして帳尻を合わせるかもしれないけど…


会社の経営者からは「そんなにうちは安くないぞ」と怒られるかもしれないけど、大昔のベースアップを見聞きしている方とすれば、15万円の給料がイケてるとは思えない。
まじめに高校に通って、卒業して、正社員として雇用されて15万円ぽっちしかもらえないの?と。

社会保険などが天引きされたら、12万~13万の間くらいでしょう。

1か月がんばって働いても、若者が大好きなiPhone買ったら何も残らない、そもそもiPhoneも買えるかどうか怪しい。

物価が変わらないならまだいいんだけど、輸入品が停まったら生活できない日本ですから、原油高騰、それに伴ういろいろな製品価格の上昇は、間違いなく打撃となる。

国際的に商品となりうるオートバイも新興国需要、上向きな景気に引っ張られて車体価格は上昇、それにともなって純正部品もどんどん値上げ。

円安だから、さらに苦しい展開に。


今後、いったいどうなるんでしょうね。

 

 

20代の自分に怒られないよう、自分への戒め

想像もしていなかったけど、いつの間にか齢(よわい)50を過ぎていた。

TPOをわきまえることもなく、何処へ行くにもレザーとデニムでウロウロしていた20代。

怖いもの知らず、というより世間知らずだったんだと思う。

あれから、随分と世の中を見てきて、自分が世の中で通用する、と思ってきたことは、ほんの一握りだった。

好き勝手やって、いい気になって、調子に乗ってたのも、世の中の多くを占める真面目でコツコツやっている人たちが作り上げたものがあるからできたことで、アタマのいいヤツらは、それを若いうちから気づいているんだけど、肝心なことが見えてこないせいで、理解するまで多くの時間を要した。

 

数多くの失敗や経験を積んで、ようやく大人になってみると、若い連中の無謀さ、無策さに気づき始めるもんだから、ついつい声をかけてしまう。

子供の頃、教科書か何かでこういう話を読んだことがある。

アメリカだと思うけど、ネイティブアメリカン(インディアン)は、子供が刃物をいじりだしたら「危ないよ」と声をかけることなく、見守るのだそうだ。

よほど大けがするようなことがなければ、ちょっと使い方が怪しくても、刃物を取り上げたりしない。

ついには、指や手を切ったりすることもあるのだけど、子供たちが自分で「痛み」を理解するまで、黙っている。

それが、彼らの教育なのだそうだ。

「危ない」といって刃物を取り上げたり、ひとつひとつ手取り足取り教えるのは簡単だけど、それではいつまで経っても独り立ちできない。

 

大人の我々が必要なのは、言いたくなる言葉をぐっとこらえて、知らんぷりして黙って見守ることだ。

わかっちゃいるけど、つい心配になって、あれこれ口を出したり、余計なことをする。

 

タイムマシンがあって20代の自分がやってきたら、そんな自分に煙たそうな表情で吐き捨てるだろう。

 

「大人がいちいち口をはさむな」と。

 

あの頃の自分も、それこそタイムマシンがあったらやり直したいほどのヘマをやらかして今がある。

多分、大人は失敗の塊で造られていて、失敗した分だけ、二度と失敗しないための答えを持っている。

出来のいい人間は、大人や年寄りの失敗をよく観察して、人生の参考書にするだろうけど、答え合わせばかりの人生が人を強くするとは限らない。

一か八かでチャレンジできるのは、若者の特権だ。

身体と心に刻まれたキズは、チャレンジの裏返しだ。

 

われわれ大人や年寄りは、若者が挑戦する機会を奪ってはならぬ。

黙って見届けて、失敗してボロボロになった時、そっと手を差し伸べる。

 

それがいい。

それでいい。

 

いつの間にか、小言を言うようになった自分への戒め。