ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

Archives オーストラリア滞在記(1996-1997) 6

 海の向こうで働いてみれば(後編) 

ニッテルからもらった仕事は他にもある。
こっちの方がメインの仕事となったのだが、それはカラオケボックスの店員である。
何故に携帯電話のレンタル会社がカラオケ店か?

細かい事情は話すと長くなるし、オレもよく知らない部分が多いのでカットするが、ようするにニッテル(あるいは根岸・渡部両氏が個人的に)がとあるカラオケ店の経営を任されたのだ。

カラオケ店のオーナーとの間にどんな取り決めがあったのかオレには分からない。
だが、BASICにカウンターだけを設置し、カラオケボックスの事務所に本機能を移動したことは明らかであった。
多分「カラオケの経営やってくれれば、事務所を提供しよう」という話に乗ったということなのだろう。

ある日、オレは渡部さんからボンダイ・ジャンクションのKFCに呼び出された。
サンドを頬張った渡部さんは、にこやかな顔でこう言った。この人は、メシを食っている時、本当に幸せそうな表情を見せてくれる。
食いっぷりも見事なもんで、オレの倍以上は胃袋に収める。

「タケダよう、カラオケボックスで働いてみないかあ?」
「何すか、それ?」
首を傾げたオレに、渡部さんは「まだ本決まりではないのだが…」と前置きしてから、手短に事情を説明した。
オレが日本を出国する直前までカラオケボックスでマネージャーとしての権限を与えられていたことを覚えていたらしい。

「出来れば、手を貸して欲しいんだよなあ」
にこやかな笑顔のまま、渡部さんは数センチ身を乗り出した。
台詞とは裏腹に「やってくれるよなあ、タケダ」という態度が見え見えだった。

大恩ある渡部さんの願いとあれば断るわけにはいかないのだが、オレとしては正直気乗りしなかった。
ペーペーのアルバイトとして働くならまだいいが、どうやら将来的にはもっと難しい部分…経営とかそんな柱となる仕事までタッチすることになるかもしれないという。

経験上、そういう仕事はものすごく大変で、肉体的にも精神的にもキツいと十分すぎるほど知っていた。

「うーん、どうしようかなあ…」
どうしようかなというのは「やる、やらない」ではない。
どうやって断ろうかという意味だ。

答えあぐねいているオレの姿を見て、渡部さんは遥か彼方を見つめるかのように目を細め、斜め45度の角度で空を見た。
「タケダがこっちを手伝ってくれればさあ、オレらも本業の方に力が入れられるしさ、そうすると加治木の仕事もラクになるんだけどな…」

芝居がかった言葉の裏からは「やってくれるよな、タケダ」という意思が伝わってくる。こうなったら、もう断る術もない。
「分かりました…やらしていただきます」
「そうか、やってくれるか!」
渡部さんの作戦勝ちである。「そうか、いやあ期待してるよ」と笑いながら、渡部さんは一層幸せそうにサンドにかぶりついていた。

オーストラリアにカラオケボックスというと、ピンとこないかもしれない。
オレ自身、はじめてカラオケボックスの存在を知った時は「おいおい、ここまできてカラオケかよ」と驚いたものである。

しかも、未だにレーザーディスク
日本じゃほとんど通信カラオケに取って代わられていたので「まだこんなのが現役なのか?」と二重の驚きである。
考えてみれば、当然だ。
日本の配信元からオーストラリアまで引っ張ってきたら、コストが跳ね上がり、料金もとんでもない価格になってしまう。

考えようによってはLDだってバカにできない。
新譜だって販売されているし、生音が使えるため通信より音がいい。
さらに最近のアーティストの曲になると、本人登場のプロモーションが映し出される。

歌っている分にはちょっと前のカラオケボックスという雰囲気である。
そう、客として歌っている分には、日本のカラオケボックスと何ら違いはない。
が、働いている方には、このLDシステムがものすごい負担となって襲い掛かってくる。
意外に知らない人も多かったオーストラリアのカラオケ事情をここに紹介しよう。
 
従来、日本のカラオケボックスだと、大体一部屋ごとにLDチェンジャーがあって、番号を入力するとLDがセットされて演奏開始となる。ちょっと高級な機種になると、次の曲が収まったLDが待機している(だよな?)。

ところが、オーストラリアのカラオケ店は違う。
何と、このチェンジャーが行うべき作業を従業員が自らの手で行うのである。
店内にはおびただしい数のLDソフトが並び、従業員は各部屋のリクエストに応じてLDをプレーヤーに突っ込む。
一応、映像モニタと選曲リスト表示装置(こいつが何と説明すればいいのか分からない)で今どの曲がかかっていて、次に何をリクエストされているのか確認できる。

こいつが10部屋分くらいあるので、満室になると作業場はパニックとなる。
途中で曲を止めるヤツ、同じ曲を何度も入れるヤツ、時々「おめえら、ちゃんと確認してから選曲しやがれ!」とブチ切れたくもなる。

しかし、誰が何といおうと、お客さんあっての商売。生意気な若造にも笑顔で頭を下げ、図々しいおばさんにも丁寧に応対する。
それが出来ないようなら、ハナっから客商売なんかよした方がいい。 

f:id:z1r2:20200112181441j:plain

 

とりあえず、新しく入ったバイトは、この『人間チェンジャー』の仕事を叩き込まれる。その後、ドリンクやフードなどのレシピを教わりながら、カウンター業務をこなしてゆく。
オレにとってこのカウンター業務が難関だった。

客が日本人なら問題はないのだが、当然地元の人間や中国人やらベトナム人、韓国人留学生なんかも大勢歌いにくる。
そうすると、当然英語で応対しなければならない。


「いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」
「ご利用時間は何時間にいたしましょう?」
「歌本は中国語も必要ですか?」
「どうぞ、ご案内いたします」…全て英語でのやりとりとなる。

こっちが喋る分にはマニュアルというかカンペがカウンターの中にあるから、決まりきった台詞を口にすればいい。
しかし、相手の言葉を聞き取り、応対するのは一苦労である。
客が目の前にいるならまだいい。お互い雰囲気である程度の意思疎通が出来る。

しかし、やっかいなのは電話応対。
週末ともなると予約の電話が殺到するのだが、早口の英語を聞き取るのは至難の業だった。さらには「その店に行くにはどうすりゃいいの?」とか道案内までさせられる。

「えーその道をまっすぐ行って、一つ目の信号を右に折れるか、次の交差点を曲がってもらうと一方通行に出くわさないのでラクです」てなことを伝えなければならない。

それだけに、カウンター業務は憂鬱以外の何でもなかった。
しかし、今思えば、オレの英語力がアップしたのはカウンター業務のおかげだ。
しばらくすると、わけのわからん客をあしらったり、クレーム処理などもこなせるようになっていた。

高校時代、英語じゃ赤点の猛打賞、成績じゃワースト10の首位打者だったこのオレが英語を使って働くなんて、今でも信じられないことである。
まさに奇跡だ。
 
日本を離れる前から「英語なんて喋れなくても関係ないぜ」と豪語していたが、明らかにオレよりアホ面の野郎がスラスラと英語を喋っている姿を目の当たりにして「オレ、ぜんぜんイケてないじゃん」とショボくれたこともあった。

「オレ、何でこんなに英語が出来ねえんスかねェ?」
ため息をついたオレに、逆に渡部さんは
「タケダは何しにオーストラリアへ来たの?」と問い掛けてきた。
「英語力を身につけたくて日本を離れたの?それともバイクで旅をしたいから?」
それはバイクで旅をしたいからに決まっている。
他に何があるというのか。

「目標があるんだったらいいじゃん。そこに英語が要るんなら、必要な英語だけを覚えればいいでしょ」

渡部さんは何気なく口にした言葉かもしれないが、こいつはオレの胸にガツンと突き刺さった。
そうだ。オレは英語なんて出来なくてもいい。
単車でぶっ飛ばせればそれでいいのだ。あらためて問いただせば分かっていたことなのだが、どこかで「英語を覚えなければ」という気負いとか、周囲と自分を比べて「オレはダメだなあ」と劣等感を抱いていた部分があったのだろう。

不思議なもので、開き直ってからというか、吹っ切れてからというもの、オレの英語はみるみる上達していった。
 
英語がなかなか上達しなくて悩んでいるヤツには、オレは必ずこの話をする。
といっても「何が何でも英語が出来るようにならなくちゃダメなんです」と切羽づまったヤツもいる。
そんなヤツにはこんな話を聞かせてやる。

ある青年…こいつはオレのように英語で「これください」も言えないようなヤツだった。彼は遊びにきたわけではなく、旅行が目的でもなく、とにかく英語が出来るようになりたかった。しかし、語学学校に通うほどの金銭的余裕はなかった。

彼はそこらのカフェに入ると「オレを時給1ドルで雇ってくれ」と交渉した。
当然、店としては1ドルで働いてもらえれば人件費の大幅削減になる。
が、いかんせん英語はほとんど出来ない。役に立たないようなら、首にされてもいいことを条件に、彼は職を得た。

彼にとって、コーヒー1杯のオーダーさえも気が抜けなかった。
トンチンカンな仕事振りを見せれば、すぐにクビを言い渡される。多分、何度か失敗はあったと思う。
「次にポカしたら、やめてもらうぞ」
なんて言われ、テンパったこともあっただろう。

しかし、限界まで自分を追いやった彼は、短期間でかなり英語力がアップしたという。

こいつは根岸さんから聞いた話だが、ガッツのあるヤツがいたもんだと感心した。
誰もが彼のような方法を選べるわけではないが、その姿勢を見習うことくらいは出来るはずだ。

「勉強に王道なし」と言われてもいるが「好きこそものの上手なれ」という言葉もある。オレのように好きなことを見つけ、その中で英語を身につけるのも精神的に余裕が出来ていいことだと思う。

もちろん、彼のようにギリギリまで追い詰め、英語を使わざるを得ない状況に身を置けば、英語を習得するだけではなく精神的にタフになるはずだ。
どちらを選ぶにしろ、漫然と英語を勉強するより、よっぽど上達は早いだろう。

何だかいつになくマジメな内容になってしまった。
ちなみに今のオレが、さらに英語力を身につけようとするならどちらを選ぶか。
正解はどちらも選ばず、第3の方法を選択する。

それは、英語を喋る恋人をつくることである。実は、こいつが楽しく気持ちよく英語を学べ、かつ一番の近道だとオレは信じて疑わない。