ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

Archives オーストラリア滞在記(1996-1997) 3

空冷Zとの出会い

前にも書いたが、オーストラリアにやってきたオレが一番最初に買ったものは、バイクの中古車販売誌だった。
内容は日本の情報誌と変わらない。写真の下に価格、走行距離、付属品などが列記してある。気に入ったら「見せてくれ」といえばよい。

どうやって切り出せばいいものかと迷うなら、「へろー」の後に名前でも名乗って「I saw your advertisement(広告を見ました)」などと言うといい。相手もそれなら何のことか分かるだろう。

と、偉そうなことを言っているが、当時のオレときたら「おー安い」「ピカピカにしてんじゃん」と雑誌を眺めていただけ。
実際は写真を赤ペンでチェックしてお終いだった。

オレの場合予算的な都合はあったが、とにかくZ1に乗りたかったので、雑誌に掲載されているZはすべて丸をつけていた。当時のメモを読むと、安いもので2000ドル。高いものになると8000ドル。

んで、本当はZ1がよかったのだが、初期のZはスポークホイールにリアはドラムブレーキ。
使用目的がロングツーリングなので、やはりここはチューブレスタイヤを履けるキャストのZを選ぶべきだろう。
エンジンの信頼性だってZ1000MK2やJの方がいいはずだ。

それがいい。そうしよう。
オレってクレバーだよな。クールで冴え渡っているぜ。

鏡に映った顔は、聖徳太子のように知性に満ち溢れていた。少なくともオレの瞳にはそう映っていた。

しかし、自分では極めて冷静に考えているつもりでも、根本的な間違いがある。
何を選ぼうと『Z1でロングツーリング』という計画そのものが無茶なのだ。

クレバーなライダーなら、いつ壊れるか分からない旧車ではなく、最近造られたオフ車を選ぶ。空冷単気筒ならなおよろしい。その方が整備のコストが抑えられるし、いろんなところを走れる。
つまり、故障の心配もなく、故障した時も比較的低価格で修理できて、かつ楽しみの幅が増えるわけだ。

それでもオレはZが欲しかったのだから仕方ない。それだけZに惚れ込んでしまったのだ。「Zが好き」と一日百万回唱えて、マトモなZに出会えるなら、間違いなく実行したであろう。
バイク乗りなら、この気持ち分かってくれるだろう。
「そんなの理解できないわ」という読者、特にバイクなんか全然興味のない貴女…それなら、こんなふうに想像してみてくれ。

ある日、あなたはある男性を好きになる。日に日にその想いは高まり、ついには何をしていても彼のことが気になってしまう。

例えばそいつの名前がヒロマサだとする。
たまたまつけたテレビでテレビ朝日のプロレス中継を放送していたとする。
中継には「ヒロ斉藤」あるいは「マサ斉藤」というレスラーが出ている。彼の名前の二文字がついたレスラーの名前をアナウンサーが口にするたびに「ヒロマサ君の身体も、あんなにたくましいのかしら」と貴女はTVにくぎづけ。

傍から見れば単なる「ヒロつながり」「マサつながり」なのだが、恋する貴女にはそれだけで十分。
TBSのCDTV福山雅治のクリップなんか観た日にゃ「ヒロマサ君もあんなにセクシーに歌うのかしら」とため息をつく有様。
 
しかし、貴女の親友曰く…「ヒロマサ君ってね、山岳部時代に水虫ができちゃってて、臭い食べ物が好きで、未だに『なめんなよ』の免許証を持ち歩いていて、部屋には大きなプラモデルが置いてあって、しかもパソコンはマックなのよ。つまり変わり者なのよ。いいえ、人間のクズかもしれなくてよ」とのこと。

ところがぎっちょん(死語)、そんな親友の制止も無駄無駄無駄。
貴女の中では、ヒロマサ君はキムタクも反町もタッキーも及ばぬ存在。
そう、ヒロマサ君でどんぶり飯を三杯は食えるくらい育ってしまっているのだ。

貴女の人生の中でも、そんな経験のひとつやふたつあったでしょう?

Zに対するオレの気持ちが同じかというとちょいと違うような気もするが、まあそんなようなものだと思ってくれていい。
とにかく、オレはZ以外に乗るつもりはなかったし、Zで豪州一周しないうちは帰るつもりもなかった。

何だか毎回話が脱線するな。
とにかく、まだ着いて何日もしないのに、頭の中ではZが爆音をあげて走っている。
ビリケン様のように祀られた棚の上のヘルメットを眺めては、悦に入っていたものである。
それだけ、やる気マンマンだったのだ。

オレの気持ちを理解してくれたステイ先のヴィッキー母さんは「どれどれ、どんなバイクが欲しいの」とオレのチェックした雑誌を見てくれた。

ヴィッキーはメガネをかけて「これはダメ」「ああこれもダメ」と大きなバツ印をつけてゆく。
20近くのチェックが最後には2、3個だけとなる。
「母さんよ、何でこいつらがダメなのよ?」

ヴィッキーがそこまで単車に詳しいとは考えられない。
すると、ヴィッキーは「だって、これQLDとかVICの広告よ」と笑った。つまり、オレが住むシドニーはNSW州で、QLSやらVICは1000キロくらい彼方の州だ。

そう。
あろうことかオレは「ゼットォ」と夢中になっていたがために、掲載した人の住所を確かめていなかったのだ。
残ったヤツもあまり程度のよさそうなものではなく、結局ゼロからやり直し。

毎日のようにバイク雑誌を眺めるオレに、ヴィッキーは「こういうものもあるわよ」と分厚い新聞を放り投げた。

そいつはTRADING POSTという個人売買専門の新聞で、バイクや車はもちろん、家具や楽器、家電などあらゆる品物が売りに出されている。週1回の発行で、地元の人間は手始めにこの新聞から探すらしい。

ところが、こいつがやたらと小さな字で書いてあるものだから、読んでいるだけで一苦労。番付表で幕下力士の名前を探すようなものである。


※2020年現在、TRADING POSTはWEB媒体となっていた。
https://www.tradingpost.com.au/
に探しているものを入力、クリックするだけ。
昔は元旦に配られる新聞みたいに分厚くて、小さな字で書いてたから、何を探すにも本当に大変だった。

 

目を皿のようにして字を追うこと数十分。
『Z1R、3000ドルで売ります』

電話場号から察するに、シドニーのライダーだ。
ヴィッキーに訊いてみたら
「そうね、ここから20分くらいじゃない?さ、支度しなさい」
オレの返事を聞くこともなく、ヴィッキーはハンドバッグを抱え、車のキーをポケットにねじ込んだ。

もはや言うがまま。なされるがまま。
オレはヴィッキーと共に下見へとでかけた。

教わった家に行ったら、オーナーらしき男が手を振っている。
色白で縦にばかり長く、日本にいたら「もやし」と仇名されそうなヤツだ。
今は「もやし」なんて言わない?じゃあ、マッチ棒にしよう。
マッチ棒は別に愛想笑いをするわけでもなく、新聞の勧誘員を見るような目つきでこちらを向いていた。

さっそくチェックしてみる。ビキニカウル、黒い直線的な外装はまさにZ1Rの2型。
でも、ちょいと錆が浮いている。おまけに、マフラーはモナカの集合に変えられている。おかげでセンタースタンドもない。
こいつが3000ドル。日本円にして27万円。

安いのは間違いない。
日本で買えば、もっと高いだろう。しかし、30万円くらいのZ1がないこともない。もちろん、マトモな出物ではなく、かろうじてエンジンがかかる程度か、不動品。

どうするべ。どうしたもんだべか、おい。
乗ってみたが、何ともいえない。こんなもんかもしれないし、本当はもっとすごいのかもしれない。
とりあえず、この日は「また連絡する」と言ってお茶を濁しておいた。

家に帰って息子のグラントに相談したら、「オレさ、単車のことよく分からないけどよ、もうちょっと安くなるんじゃねえの?」という。
そこへグラントの友人、ラッキーがやってきた。

ラッキーはもう30も半ばのオヤジ。
囚人のように人相が悪い男で、マリファナでラリっているので生活態度も悪い男だ。

ラッキーも「もうちょっと安くなるぜ」と力説するが、ラリった頭で喋っているので支離滅裂。
グラントは「お袋じゃ埒があかねえ」と、マッチ棒に電話を掛けた。
あいにく、マッチ棒は留守だった。
「あーさっきオレの友達の日本人がアンタのバイク、見に行っただろう?それで値段の件でもう一度話し合いたいんだ。留守電聴いたら、こっちに電話をくれよ」

雰囲気的にはこんな言い草だった。とにかく、プリーズもセンキューもなし。
グラントよ、お前は丸いものも角を立てるのか。
心配げなオレを尻目に、ラッキーは相変わらずコポコポとマリファナを吸っていた。

結局、一週間後このマシンはオレの手に渡った。
グラントやラッキー、もうひとりの友人ブレット、そんでヴィッキー母さんのおかげで、オレはめでたくZライダーとなったのだ。

しかし、コレが苦難の道の始まりであることは、誰にも分からなかった。
そして、それはまた別の話。

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これは、また別のZ1R。
もしかしたら、20数年ぶりの初公開?
もうなくなってしまったらしいRedfernのカワサキショップの倉庫に眠っていた。
たしか3000ドルしなかったと思う。
キックシャフトも保安部品も外されている。
お手製っぽいバックステップといい、味のあるマシン。
不動車だったかもしれないが、買ってくればよかったかも。