空冷Zとの新たな出会い
いつまでたっても旅に出る様子がないので
「このヒト、本当にバイクで旅に出たのかしら?」
「ほら、最近は素人でも簡単に写真を加工できるから、きっとツーリングの写真も合成かもしれなくてよ」
「ワタシにはよく分からない世界だけど、きっとアイコラとかもやってるに違いないわ」
「そうよ、長髪でチャパツで真っ黒い格好でバイクに乗ってるライダーは変態よ」
「キムタクみたいにお洒落な格好じゃないとねえ」
などという声が聞こえてきそうだが、当時オレ自身も「本当に旅に出られるのか?」とテンションが落ちていた。
というのも、Z1Rの調子が今ひとつどころか、今ふたつくらい悪かったのだ。
アイドリングが安定せず、信号待ちでスロットルを閉じてやると「プスン」と止まることもしばしば。
エンジンを回してやると、若干だがマフラーから白煙があがっている。
友達に「一周出る前に、どっか行ってきたら」と言われたが、ショートツーリングでさえ不安で仕方ない。
シドニーからブルーマウンテンを結ぶ直線道路でメーター読み「時速ふうわkm」(察してくれ)くらいで走って以来、さらに調子が悪くなっている。
ちなみに、この時『キリン』でGSX1100のミラーが風圧で倒れるの描写があるけど、アレがウソじゃないことが分かった。
メットの内装は顔にめり込んで来るし…水冷4発のスーパースポーツで全開かましたら、どうなるんでしょう?時速280kmくらいは出るだろうし。
ああ、恐ろしい。
とりあえず、キャブのOH(オーバーホール)をしてもらいにカワサキのショップに持ち込む。
ここのカワサキは、近所に東京ビレッヂというバックパッカーがあるので、日本人にも親切である。
特に、店員の女のコが超カワイイ。
小柄でクリクリっとした眼をしてて、いつもニコニコしている。
見た目はアイドル系だが、彼女もライダー。
店先に停めてあるZXRでブイブイ峠を攻めまくっているらしいが、カウルのあちこちは傷だらけ。
ああ、一度ツーリングに誘うべきだった…
何日かしてキャブの整備が終了。
ウキウキしてマシンを引き取りに行ったが、メカニックの表情が冴えない。
「一応、OHはしてみたが、エンジンが今ひとつだ。これでラウンドに出るのは難しいかもしれない」メカニックの言葉が重くのしかかる。
「じゃあ、エンジンのOHって、どれくらいの費用で出来るんだ?」
「まあ症状にもよるが、2000ドルくらいは見ておいた方がいいだろう」
オレは目の前が真っ暗になった。
2000ドルといえば18万円。
「OK、そんじゃヨロシク」と気楽に出せる額ではない。
しかも、このマシン、エンジンだけではなく、そこかしこにトラブルを抱えている。
修理を繰り返して走っているうちに、どこかまた別のところが壊れて…
頭の中に「ハイ、それまーでーよー」と植木等の声が響き渡る。
この頃から「買い換え案」が浮上し、バイク雑誌をもう一度チェックするという日々が始まった。バイクもZにこだわらず、オフやツアラーでもいいんじゃないかとさえ思い始めていた。
悶々としながら雑誌をめくっていたら、「カワサキZオーナーズクラブ」という文字が飛びこんできた。
これだ。
オーナーズクラブなら、Zのメカニズムに精通しているライダーもいるだろう。
もしかしたら、スペアパーツも持っているかもしれない。
オレはすぐさまペンをとり、クラブの責任者に手紙を出した。
その責任者こそが、後にオレがさんざん世話になるビンキィ・ロミンスキィだった。
何日もしないうちにビンキィは返事をくれた。
しかも、100キロも離れた街からわざわざパディントンにきてくれたのだ。
「どうでしょうね、ダンナ。大丈夫ですかねえ?」
不安いっぱいのオレに、ビンキーは簡単にマシンをチェックした。
「多分、それほど距離を重ねなければ、今のままでも走れるな。でも、お前がやりたい豪州一周となると、難しいなあ」
「やっぱし…」
オレはガックリと肩を落とした。
「でも、そんなに悪いというわけじゃない。一度ウチに遊びにこいよ。そうしたら、アレコレ診てやれるから」
こうしてビンキー、そしてZオーナーズクラブとの交流が始まったわけである。
ビンキィは「ニコイチ」ならぬ3個1でZ1をオリジナル状態に復活させたツワモノ。オレのメンテ知識は大半がビンキーから教わったものである。日本車のメンテをオーストラリア人に教わる…何だか不思議な感じだ。
ビンキィの修理とメンテの元、前よりだいぶマシになってきたZ1Rだが、やはりエンジンのOHは必要だという。
「だったら、もっと程度のいいマシンを買う方がいいかな」
このオンボロZ1Rは3000ドルで購入したものだが、バイク屋の広告には6000ドルくらいでピカピカのZ1Rが載っている。
居ても立ってもいられなくなったオレは、パラマッタという街に出かけた。
パラマッタにはたくさんのバイクや車のディーラーが建ち並んでいる。
まず、オレは広告にピカピカのZ1Rを載せていたバイク屋に行ってみた。
あわよくば、こいつを下取りに出して安く買おうと思ったのだ。
そうなれば、細かい交渉が必要となるため、オレは究極の最終兵器を投入した。
それは、英語を完璧に話せる友人である(笑)。
白羽の矢がたったのは「弦さん」という友達だ。
名前こそ古式ゆかしき感じだが、弦さんは日本人とイギリス人のハーフ。バリバリのバイリンガルだ。
しかも、頭も切れるため交渉力にも長けている。
オレが庄屋の主なら、弦さんは用心棒。
ヒマそうな店員を見つけ、弦さんに声を掛けてもらう。
まさに「先生、ぶった斬っておくんなさい!」の世界である。
店員との交渉の結果、もしこれを売りたいなら1500ドル。
下取りに出して新しいバイクを買うなら2000ドル引きにするということだった。
何と単体ではOH代より安いのか。
3000ドルでボロマシンを買った自分が情けなくなってくる。
でも、下取りに出せば4000ドルでニューマシンが買える。
店頭のZ1Rは外観も中身も上等。
エンジンなんて「本当に同じバイクなのか」というほど調子がいい。
とりあえず、その日は「検討する」と答えを保留しておいた。
どうする?どうすりゃいい?混乱する頭を整理する。
今のバイクは調子が悪い。
直すには2000ドル。
2000ドルかけても直るのはエンジンだけ。外装ボロボロ、サビも多い。
売り払っても1500ドルしか帰ってこない。
下取りに出せば4000ドルで買える。
直すより2000ドル高いが、調子はよさそう。
買うか直すか。
もはやアレ以上の出物はないだろう。
バイク屋があのコンディションで6000ドルをつけているのだ。
今でこそ日本のバイヤーが買付に来るため、オールドバイクの価格は上昇傾向にあるというが、基本的によほどレアなバイクでなければプレミアはつかない。
つまり、オレのボロバイクも2000ドルでOHして、1000ドルくらいでキレイにすれば、6000ドルくらいの価格がつくのである。
安ければ安いなりに、何かがあるのだ。
心は80%くらい買い換えの方向に進んでいたのだが、それでも心の片隅で「もっと安いものがあるのではないか」と期待していたオレは、雑誌を買い続けていた。
ある日、いつものようにパラパラと斜め読みしていたら、カラーページに美しいノーマルのZ1Rが掲載されていた。
しかも、価格は4500ドル。
場所はNSWときたもんだ。
オレはもう一度弦さんにコンタクトをとり、広告主に電話してもらう。
オレは心の中で「売れてませんように」と祈った。
電話を切った弦さんは、ニッと笑った。
「大丈夫、売れてないって」
弦さんが神様に見えたのは言うまでもない。
アポをとったオレは弦さんを後ろに乗せ、広告主の家まで爆走した。
広告主はマイルス・デイビス(ウソじゃないぞ)という名前の青年だった。
名前はマイルスだが、見た目はブラッド・ピッドを細くしたようなナイスガイ。
ボロZ1Rを売りつけたマッチ棒オトコなんか比べものにならないほど愛想がいいヒトだった。
マシンはガレージに納められ、ピカピカに磨かれていた。
弦さんを通し、オレは「何でこのバイクを売りたいのか」と聞いてみた。
乗っていて気に入らなくなったのか。
急に金が必要になったのか。
それとも買ってみたはいいが、トラブル続出で乗る気にならなくなったのか。
するとマイルスは「こっちにきてくれ」とガレージに案内してくれた。
ガレージの奥に、これまた古いドゥカティが入っていた。
「アメリカに行って、こいつを見つけてねえ。すっかり気に入っちゃったから、このZ1Rを手放そうと思うんだ」
何と、アメリカ?
一体この兄ちゃんは何者なのだ?
聞けば、マイルスは自転車のプロレーサーで、あちこちを転戦しているのだという。
言われてみれば、ガレージの中には、これまた高そうな自転車やパーツが整然と並んでいる。
マシンを愛していないヤツには出来ない芸当だ。
「じゃあ、早速音を聞かせて欲しいんだけど」
すると、マイルスは申し訳なさそうに首を振った。
「実はカギを無くしてしまったんだ。カギ屋に新しいヤツを注文しているんだけど…」
カギがなければエンジンの音は分からない。
「その代わり、カギがついたら今度はボクがそっちまで行くよ。だから、それまで待っていてくれないか」と言ってくれた。
マイルス、やっぱりナイスガイだ。
他のヤツには絶対売らないという約束をとりつけ、その日は戻ることにした。
家に帰るなり、早速ビンキィに「こんなバイクを見てきた」と連絡を入れる。
ビンキィは「だったら、オレが一緒に行ってチェックしてやるから」と言ってくれた。
何日かしてビンキィ、マイルス、オレの3人は国道1号線沿いのガソリンスタンドに集合した。
ビンキィは手際良くバイクをバラし、コンプレッションやらスロットルのレスポンスなどをチェック。
一応オレも試乗してみたが、なかなか調子がいい。
不用意にアクセルを開けると、パワーリフトしそうな勢いだ。
こいつが本当のZパワーなのか。
一通りチェックし終えたビンキィは「ちょっと来い」と手招きをした。
「お前、もう値段のことは言ってあるか?」
「いや、まだその辺は何も…」
「こいつはな、掘り出し物だ。4500ドルでも安いくらいだ」
ビンキィの言葉にオレは思わず「やったぜ」とガッツポーズを取った。
喜びはしゃぐオレにビンキィは早口で囁いた。
「でもな、こいつは値切れるぞ。何が何でも欲しいという素振りは見せるな。4500ドルでも買えないことはないけど、分割でないと無理と言うんだ。それで、もし4000ドルにまけてくれるなら、誰かから借りてでも今日、すぐに払うと言うんだ。出来るか?」
いやーでも、何か騙しくれてる気がしてやだなあ」
「バカ、いいんだよ。今後、こういう遣り取りは、お前にとっても勉強になる。やってみろ」
ビンキィに言われるまま、オレは値切りに挑戦した。
するとマイルスはちょっと考えてから「OK。今日の帰りに即金で支払ってくれるなら、4000ドルに負けようじゃないか」と承諾してくれた。
オレはマイルスに気づかれないよう、ビンキィにサムアップしてみせた。
こうして、オレは4000ドルでピカピカのZ1Rを手に入れたのである。
しかも、手元には前のバイクも残っている。
下取りに出してバイク屋で購入するより、ずっと得したわけである。
調子付いたオレは、前のZ1Rを売り払おうと日本人が立ち寄りそうなところに広告を出した。
だが、さすがにオンボロ旧車に乗りたいという「変わり者」は、ついに現れなかった。
新しいマシンを手に入れたオレは、この1ヵ月後、オーストラリア一周に向けて旅だったのだ。
ちなみに、前のバイクはバラバラにされ、フレームと足回り以外は全て日本へ輸送。
というわけで、今もエンジンやらキャブやらタンクやらが残っていたりする…
ヨッシーとビンキィロミンスキィBinky Rominski夫妻。彼もまたボクサーだった。