ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

Archives オーストラリア滞在記(1996-1997) 5

海の向こうで働いてみれば(前編)

意気揚揚とパディントンに移り住んだオレだったが、何日もしないうちに時間を持て余すようになった。
フラットの友人たちはみんな仕事(バイト)を持っており、日中はほとんど誰もいなくなってしまう。バイクでウロチョロするにしても、限界がある。
あっという間に暇人になってしまった。

ワーキングホリデーの多くはギリギリの予算で渡豪してくるため、部屋と同時に仕事を探す。しかし、オレは日本で「これでもか!」というくらい働き、ある程度の金を貯めたので急いで働く必要がなかった。
「それじゃ、ワーキングホリデーの意味がない」と言うヤツもいたが、オレの考え方はこうだ。

まず、オレはまるっきり英語ができない。
1ヶ月間でだいぶ英語力はアップしたものの、スタート地点が低かったから当たり前。
「日常会話に不自由ない」というレベルにはまだまだ遠かった。

ということは、地元の人間と一緒に働くことなど不可能。
昔とった杵柄で飲食店で働くことは出来るだろうが、日本人経営、日本人スタッフの店でしか雇ってもらえない。

しかも、日本人に囲まれた職場で厨房に入って包丁握るんだったら、もらう金がドルというだけで、日本と何も変わらない。

だったら、時給の高い日本で働いて金を貯めて、オーストラリアで遊んだ方がいい。
オレの場合、海外で働きたいと思って日本を離れたわけではないのだ。
とにかくバイクでこの国を走りたいだけなのだから。

「じゃあ、早く行けばいいじゃん」と突っ込まれそうだが、こいつにはちょっと事情がある。
詳しい内容は後で述べるが、バイクの調子がいまひとつだったのだ。
このまま飛び出しても、途中でぶっ壊れる…
そう確信するくらい深刻なトラブルを抱えていたため、まだ旅に出ることは出来なかった。

まあいい。
時間はまだたっぷりある。
たっぷりあるどころか、多少もてあまし気味だった。

オレはヒマになると、BONDI JUNCTIONのBASICという日本人向け情報センターに足を運んでいた。
BASICでは語学学習についてのアドバイス、学校の紹介をはじめ、日本人スタッフがいる旅行代理店のテナントが入居している。

他にもCDのレンタル、ビデオレンタル、マンガ本の貸し出しを行っていたり、売ります買いますなどの掲示板、シェアメイトの募集、アルバイトの情報が得られる。

ほとんどの連中は、仕事と部屋探し、あとはマンガや雑誌を読むために利用していたようだ。

オレがここに来ていたのは、ニッテルコミュニケーションズという携帯電話のレンタルショップが目当てだった。
このショップを知ったのは、語学学校に通っていた頃だった。
「便利なものがあるものだ…日本人にとってオーストラリアはいたれりつくせりだな」

とかいいつつも、まるで興味がなかったわけではなかった。
結果的には使う機会がなかったのだが、バイクの旅の途中で何らかのトラブルに見舞われた時、携帯電話は役に立ってくれると思ったのだ。それに、国際電話も使えるので、家族や友人も「はろー」なんて言わなくても直接オレに電話が出来る。
ほぼ即決という形でオレは携帯電話をレンタルした。

その時、料金システムはもちろん、生活の知恵を伝授してくれたのが渡部さんというショップの責任者のひとりだった。
渡部さんは、欧米人顔負けの見事な巨体とにこやかな笑顔が印象的だった。
しゃべりも面白く、かといって「うちの電話はいいですよ、ぜひ借りてください」なんていうビジネストークのイヤらしさは感じられなかった。

そいつが作戦だとすれば大したものなのだが、そんなウラもなく、商売抜きでオレの話し相手になってくれた。
同じ東北出身、歳がいくつも違わなかったことが、余計親しみやすかったのだろう。
 
よくしてくれたのは、渡部さんだけではない。
もうひとり、渡部さんと共にニッテルコミュニケーションズを経営する根岸さんともよく喋った。喋ったというより、根岸さんからはイロイロ教わる方が多かった。

彼は元・国際A級ライダーで、鈴鹿の8時間耐久レースも走ったことのある、オレからすりゃ神様みたいな人だった。メカニカルトラブルはもちろん、ライディング・テクニックなど、暴走族並みの知識と技術しかないオレに、根岸さんはあれやこれやと伝授してくれた。

それと忘れちゃならないのが、加治木さんという女性スタッフ。容姿端麗、頭脳明晰、性格もよくていらっしゃるすばらしい方である。
渡部さんがいい兄貴、根岸さんが師匠なら、加治木さんは女神様である。
なんてことを書くと経営者のお二方から「おめーよー加治木の方が格上なのかよー」とブーイングが飛んできそうだが、あんなに仕事もできて気立てのよいムスメさんいないでしょう。
まして根岸・渡部の「ネギナベ」コンビを軽くあしらう、あの手腕…ご立派としかいいようがない。

というわけで、オレは他にやることもないと、ニッテルに入り浸っていたのだ。
ある日、いつものように単車でBASICに乗りつけたら、渡部さんが「随分とヒマそうだなあ」と呟いた。
しかし、その目には「うらやましい」という表情は微塵も感じられなかった。そればかりか、少々キラリと鋭い光が見え隠れする。
オレが自堕落な生活を送っていることに反感を持っているのだろうか。

「ヒマっていやあヒマですがねェ」
他の人間に言われたらハンマーパンチが炸裂するところだが、相手が相手だけにオレは薄笑いでごまかした。
すると、渡部さんはメガネの奥に鋭い眼光をたたえたままにこやかに笑い、カウンターの下から紙の束を取り出した。
「おし、じゃあこれ、街に行って配ってこい!」
それはニッテルのパンフレットだった。

その日から、ニッテルの営業マンというか販売促進の仕事が始まった。
主な仕事の内容は、日本人の留学生・ワーキングホリデーを見つけたら、パンフレットを渡すという地道な仕事だ。だが、仕事の一環としてお姉ちゃんに声をかけられるので、オレにとっては素晴らしい仕事であった。

とかいうと「てめーこの野郎、やっぱしそういうことやってやがったか!」と怒られそうだが。

それと同時に、語学学校の入り口前でのパンフレット配り。まるで、学研やらベネッセの営業マンのように、笑顔でひたすらパンフを配る。
こいつがなかなか大変だった。何せ学生が登校するのは、朝8時過ぎ。
こいつに合わせて起きなければならないし、現場が遠いところだと結構早起きしなければならない。

前の日、飲みまくってビリヤードやってヘトヘトになっていようが、時間がくればシャキっと起きて単車を運転。
その代わり、仕事が終わると渡部さんが朝飯をおごってくれるので、家計は大助かりだった。

ついでにいうと、仕事のおかげで生活にも充実感が出てきた。
ある意味、収入よりも「今日も働いたぜ」という気持ちを得られたことが嬉しかった。   

(続く)