ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

仙台 若林区



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七ヶ浜から多賀城市経由で仙台港近辺を目指す。
大きく報道されたかどうかは分からないが、多賀城市も大きな被害があった。
工場やスーパーに取り残された人々が大勢いた。

旧友の何人かが被災した。
車を失った友人もいる。
家を失った友人もいる。

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多賀城から海沿いに仙台市内に入ると、さらにひどいことになっている。
港付近は、火の出ない爆弾を落とされたように、木端微塵になっていた。
仙台新港付近には、同級生の実家があった。
昔から、よく会っていた友人のひとりだった。

本来は立ち入り禁止となっていたが、警察の方に無理を言って通してもらった。
ここも、名取と同じように海沿いに街が広がる場所である。
家々はすっかり破壊されている。

地震が起きた直後「仙台市若林区荒浜地区には、数百人の遺体が横たわっている」と、繰り返し報道されていた。
平原に数百人の遺体が倒れている光景なんて、想像も出来なかった。
前にも書いたかもしれないが、各国のジャーナリスト、おそらく戦場にも取材経験のあるジャーナリストが「戦争よりも酷い」といったのは、誇張ではないはずだ。
大戦中と違って、いまは絨毯爆撃などは行わない。
おおっぴらにBC兵器をばらまいたりもしない。

いったい、自分たちの街はどうなってしまったのだろうか。
山の中で足止めされながら、地獄絵図を想像するしかなかった。

仙台港から名取に向かう「浜街道」は、ここものんびりとした場所だ。
塩釜の実家から、名取の親戚宅、仙台空港付近のバイク屋へ行く時、いつもこの道を使っていた。
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確かに以前も田畑が広がる、牧歌的な道だったが、いまは建材や引きちぎられた樹木が転がる荒野だ。
こんな荒野が、八戸から茨城あたりまで延々と続いているのだ。
空を埋め尽くすほどの飛行機から、火の出ない爆弾を次々と落とされたのと同じだ。

そんな場所に住み続けるしかない人間もいれば、そこから帰ることが出来る人間もいる。
日常生活において、ほとんど関係のない人間もいる。

愛すべき日常を取り戻すためには、相当の時間と力が必要だ。