ブログ版 空冷Zとの戦い

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マイケル・サンデルの究極の選択 とか・・・

NHKでマイケル・サンデルの究極の選択という番組を放送していました。
東電の原発問題、あれは誰が補償すべきなのか。
国債?株主?税金?ユーザー?
補償される金額に差を設けていいのか?
今後原発を維持していくのは反対か賛成か?
原子力発電所が自分の庭先に建設されたらどうするのか。
リスクを金銭でアウトソースしてもいいのか?
それが東京・福島ではなく、金のある国、貧しい国という構図だったら?
契約による自由意思?
選択の自由のないおしつけなのか?
金を払っただけで、責任を回避できるのか?
責任とは何か?数字で指し示すことができるのか、倫理の問題なのか。

興味深かったのが、割と多くの学生、日本の学生もそうだったけど、今後も原発を維持していくべきだと答え、しかし、それが自分の家の近所に建設されても構わないと言った学生が、ほとんどいなかったことだ。

東北学を提唱する赤坂憲雄氏は、東北を中央の植民地と表現した。
東京で使用する電力の為に、福島が巨大な迷惑施設を引き受け、そのかわり巨額の補助金が落ちる。
原発のお陰で「出稼ぎに行く必要もなくなり、ここで暮らすことが出来るようになった」と語る住民もいた。
さっきの問題ではないが、巨額な補助金というのは、何処までを埋め合わせることが前提なのだろうか。
自動車保険のように、最悪の場合を想定されているのだろうか。
保険は事故が起きないと支払われないから正しく比較はできないかもしれないが、ドカンといく処までは、誰も考えて来なかったのではないだろうか。

仮設住宅にしても、ある人はプレハブのような利便性の悪い処に住み、またある人は、大手住宅メーカーが手掛けた木造のキレイな仮設住宅に住んでいる(知り合いでも、木造が当たった!と喜んでいましたが)。
赤坂氏は「住む人はこれを毎日見せつけられる。行政はなんと残酷なことをするのか」と怒りをあらわにする。

福島の原発被害者(被災者とは言わない)、沿岸部の被災者が感じていることは「行政の対応の悪さ」だ。
われわれ個々の人間は、とりあえず市町村役場に行って窮状を訴えるしかない。
しかし、彼らも県や国の方針が決まらなければ、何も言いようがない。
大臣たちが被災地を視察しても「何の役にも立たない。パフォーマンスはいいから、はやくいろいろなことを決めてくれ」と冷ややかな声を浴びせられるのは、そこなのだ。

おそろしいニオイ、おびただしい量のハエ、暑さにめまいを覚えながら、いまなお沢山の人々が暮らしている。
いっそ、そういう場所に議員宿舎を建てて、あらゆることに見通しがつくまで、そこで国会を開けばいいんじゃないだろうか。
「この問題は、じっくりと考えて答えを出さねば…」なんて悠長なこと、言ってられなくなるはずだ。

どうしようもない怒りの矛先をぶつけられずにいる人々は、何万人もいると思う。
経済に翳りはみえたとはいえ、貧乏な国家ではない。
なのに、復旧どころか、先の見えない不安におびえる人々が、大勢いる。
「雇ってやるから、こっちに出てくれば?」という企業はあっても、被災地復興の為、東北に拠点を置きます、といった会社がどれくらいあるだろうか。

本当に、地震津波から命からがら逃げてきた友人や知人たちは、人生観が大きく変わったそうだ。
今までの知人とは明らかに変わったことが、その言動から、強い磁力でも発生するように、すごく伝わってきた。
生死の境目に直面して、これまでの価値感が破壊されたのだ。
そんな目に会わなくても、変わった人もいる。
たとえば、仙台に転勤してきた東京の知人が、現状をまったく理解しようとしない本社の姿勢に失望して、長年努めた会社を辞めてしまった。

もちろん、この不幸をバネにして前に進もうという人々もいる。
ただ、多くの人々は、まだ鬱屈とした心のまま、悲しみや怒りや負の感情を抱えたまま生きていくしかない。
とんでもなく難しいことなのかもしれないが、政府がこのままズルズルと問題を先延ばしにしていけば、負の感情は、別の形で花開くかもしれない。
そんなことは、絶対にあってはならないわけで、物理的な復興・復旧作業は限界があるにせよ、それを指し示すプランは、1秒でも早く作り上げなければならないと思うわけです。

なんだか、暗い内容で申し訳ありませんね。
ここでは、もっと空冷Zな、楽しい話題をお届け出来るようにしましょう!