ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

そよぐ、という生き方


最近、物事に対してテキトーになってきました。
エンジン組むのに、ガスケットがうまくハマらなくても、オイルが滲んでも
「まあ、いっかあ」
という感じです。


日本と中国、韓国をめぐる外交問題(領土の取りあい)も、東南アジアの方々と取引があると
「大変だね」と心配して頂いたり、興味本位で「アンタはどう思うんだ」
とか聞かれます。
が、個人的には、極めて「どうだっていい」と思っています(笑)。

どっちにしろ、これらの領土の取りあいは、決着つけようのない問題だ、というのが個人的な感覚です。
未来永劫、取り合いながら、付き合っていくしかない、と思っています。
問題の本質はそこではないはずです。

精神的にも経済的にも政治的にも、しっかりと関係が築いているけど、領土問題だけがシックリ来ない。
というのではないでしょう。
ドロドロした鬱屈した感情的なモノが、領土問題という分かりやすい処に結びついただけで。

じゃあ、北方領土も、尖閣諸島も、竹島も、全部日本のものになりました。
日本はこれで未来永劫安泰ですか?というと、そうではない。
一応言っておきますけど、欲張りな人間なので「どの島も欲しい」に手を挙げます(笑)。
かといって、それが日本国民の精神的にも経済的にも幸せに結びつくかというと、はなはだ疑問です。

大事なのはそこじゃなくて、お互いが平和に仲よく、できればWINWINの関係を築くことです。
そのためには、お互いの価値観とか違いに憤慨したり、怒るのではなく
「あー考え方が違うんだなー」
と、認めることではないか、と思うのです。

中国人が旧正月にやたらと盛り上がるのも、韓国人がキムチづくりで仕事を休むのも、多くがキリスト教でもないくせにクリスマスを大事にする日本人も、他の国からすれば「なんじゃ、あいつらは」と思われているのかもしれませんし。

いったん「あいつらのことは、どうだっていいや」と、お互いゆるい感じで接していけば、もしかすると、それぞれのよい部分も見つかるかもしれません。

なんてことを書くと
「コイツは、とんでもなくいい加減な奴だ」
「そうやって、どっちにもいい顔してるんじゃない」
「ちゃんと新聞、読んでるのか!」
とか責められそうですけど(笑)。

何回も言いますけど、マスコミに在籍して、ある程度、世の中の裏事情を知っているので、新聞やテレビで書かれていることが真実ではないことは、もう20代の頃から身につまされているわけですよ。
ましてやネットの話なんて…本当のことや鋭いところをついている記事などもありますけど、裏付けをガッチリとった、署名入りの記事(記者自身が、文章に対して責任をもっている)でないと信用できませんよね。

それに、ちゃんとワタクシも思想じみたものや、ハッキリとモノ申すこともあるんです。
例えば「ベジタリアン」と呼ばれる人々に対して、ワタクシはNOをつきつけます。
体質上の理由、趣味趣向ということで菜食主義という人々はYESですけど「生き物を殺すのは可哀想だから、野菜しか食べません」という考えにはNOです。

食べるために動物を殺していないから、よい生き方と主張するのは、非常に短絡的だと思っています。
植物もまた生命であり、動物と植物に差をつけることは、すなわち、選民思想と同意義ではないかと思ってしまいます。
牛も豚もよく見るとカワイイし賢いから、食べるなというのも同じです。
どういう基準かは別として、カワイイのと賢いのは守り、バカは死ねと言われている気がします。

作物を育てるために散布される農薬で追いやられる虫のことや、田畑を拡張するために切り開かれた森林には、動物や植物、昆虫や細菌など多くの「先住民」たちもいるはずです。
野菜を食うから、誰も犠牲になっていない、というのは、大きな間違いでしょう。

他の命を奪って生き永らえるから、命は大切にしなくちゃいけない。
うんと辛いことがあって、自分を傷つけて、さらに死にたいと思っても「ここまで生きるのに、どれだけの命が犠牲になってきた?簡単に死んではならん!」と考えれば、踏み止まることもできるでしょう。
そんなに大切な命なのだから、他人をいじめて死に追いやったりするなんて、とんでもないことだ。

なんて風に、命の大切さを学校で教えてくれるといいんだけど、日の丸は国旗じゃないし君が代は国歌じゃないから立ちません、みたいな自己主張ばかり立派でいらっしゃる(笑)。
大きな声じゃ言えませんが、どこぞの小学校の先生なんかは「若い時はオレも悪かった」と生徒を相手に自慢話ですよ(涙)。

と、まあ気に入らないことに目くじら立てて怒っても、精神的によろしくないので、このごろは「まあ、いっかあ」と、そよいでいるわけです。