ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

それでいいのか、永野護!?

ファイブスター物語というSFマンガがある。
ちょくちょく休載しながら、20年以上続いている知る人ぞ知る作品だ。

何年ぶり(どうやら、9年ぶりらしい)かに連載が再開されたのはいいのだが、内容を見て驚いた。
正確には、早売りで購入した読者の感想やら本誌の画像を見てひっくり返ったのだが。


モーターヘッドゴティックメードにすり替わり、名前も変わってしまった。
他にも変更された部分はあるのだが、一番は、ここだ。
すんません、読んだことのない人には何のことか分かりませんね(笑)。

エヴァンゲリオンがTVシリーズ、映画化、最近の映画化と回を重ねていくうちに世界観やキャラクターの役割が変わっていくのとは、わけが違う。
それぞれが、独立した作品であり、原作漫画の仮面ライダー、最初の特撮ドラマ、仮面ライダーthe Firstのようなものだ。

しかし、ファイブスター物語の場合は、違う。
CMが明けたら、ガンダムモビルスーツという無機質な乗り物ではなく、エヴァという人造人間になっていたようなものだ。しかも、すり替わったことに当惑しているのは読者だけである。
作中の世界の人々は、物語の当初からエヴァに搭乗しており、モビルスーツなるものは、その世界には存在しなかったことは、アップデートされた年表からも明らか。

ネットの掲示板などでは、ゴティックメードの登場に肯定的な意見も見受けられる。
ワタクシ自身、ファティマを含めたゴティックメードのギミックには、さすが永野護喝采を送りたい。
しかし、いままでのことをなかったことにして、さらにはその説明もなく、作中で重要なポジションを占めるアイテムを入れ替えるのは「ユメオチ」にも等しい暴挙ではないか、と。

永野護の素晴らしいところは、荒唐無稽な、あるいは誰も気に留めなかったギミックに意味や考証など、重厚な背景を盛り付けて(後付け設定になったとしても、だ)、ともすれば、それは作者自身を縛りつけるものになったとしても、整合性を持たせるよう努力していることである。
モーターヘッドにしても、対極をなす魔法使いにしても、どうして彼らが生まれたのか、細かいところまで考え抜いてあるから、読者は惹かれてきたはずだ。

それが、今回はネットユーザーから「パラレルワールドで物語が進んでいるんじゃないのか」と、何十年も前の漫画家が困った末にたどり着いた禁断の手法を用いたのではないか、と分析されているのだ。

ファイブスター物語を象徴してきたLEDミラージュが、ツァラストウストラ・アプター・ブリンガーになったことで、ダッカスとなった黒騎士バッシュとの衝撃的な一騎打ちも違うものになるだろうし、GTMの設定を優先するのであれば、天照とデコースの戦いによる胴体真っ二つも成立しなくなる(はず)。
いや、そんな細かい描かれ方はどうでもいい。ただ、大人げなく、突っ込んでみたかっただけ。

残念なのは、永野護氏自身が「何十年経っても色あせないデザイン」と豪語していたモーターヘッドのデザインやコンセプトを白紙にして、しかも作中で「存在しなかったこと」にした手法。

一部では版権がらみのトラブル、もしくは版権のせいで自分の思い通りにならない、もしくはそのようなトラブルの可能性を秘めているため、ゴッソリとデザインと名称までも入れ替えたと予想する書き込みもあった。

真相は作者本人が語るまでは分からないのだろうが、それにしても残念なことである。
幸い、ストーリー自体は、休載前、休載後をつなぐところで、違和感なく連続しているので、単行本の最後から読み進められる。

GTMへ変更された理由や背景などが明確にされないと、ゴティックメードを知らない読者(はたしているのだろうか)にとっては、よく分からない話になるだろうし、リブートなる単行本も「ITに疎い人たちに、サポートもない、時代遅れのOSが搭載された、型遅れのPCを売る」のと似たような商法に見えてしまう。

願わくば、我々の予想をはるかに超えた「良い意味でのどんでん返し」が近い将来やってきて、こんなことを書いてしまった自分が恥ずかしくなるくらいのことが起きないかと、待ち遠しく思うのである。