ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

Farewell...

どうもお久しぶりです。
最近、全然更新していませんでした。

春先に動いていたZも突然不動車になりました。
おそらく電装系のトラブルでして…現状はこうです。
イメージ 1

イメージ 2
何処かの短絡が原因なのでしょうけど、短絡的にハーネスをぶっ壊したので、新しく買い替え。
なのにエンジンがかからない。スイッチ類も全部調べたつもりなのですが…
順調に作業すれば1時間くらいで組み上がる、アホでも出来る整備だったはずが、泥沼にはまり込んでます。
あやうく、バ●ク王に電話しかけました。
バイ●王に叩き売るにしても、まずは動かさないことには…
て言っているうちに、暑くなってきたので放置状態です。

先日、仙台カップという宮城県の国体選手を選出するための予選会に出場しました。
ちなみに、競技は「山岳」です。
15mくらいの壁を登る競技(リードクライミング)も、4mくらいの壁を登る競技(ボルダリング)も女子高生に負けてしまいました。
トホホホ。


仙台カップ2013 リード競技 ミドル部門1位のクライミング
↑よく分からんかもしれませんが、本当に強いんですよ。

セガレも出場したのですが、ふたつの競技で表彰台をゲット。
しかし、それほど嬉しそうではありませんでした。
「もっと上のカテゴリーで勝たないと意味がない」
のだそうです。来年は、とうとう同じカテゴリーにステップアップしてきそうです(涙)。


七夕の朝、大好きだった祖母が亡くなりました。
明治から平成まで、およそ1世紀という長い年月を生きてきた祖母は、大戦中は看護婦として中国へ渡り、終戦近くになって命からがら娘たち(ワタクシの母親ですね)と日本に引き揚げ、夫(つまり、ワタクシの祖父)は南方で捕虜となり、まあ無事に帰ってきましたけど、本当に辛い人生だったと思います。

しかし、祖母はいつも笑顔を絶やさず、そして世話好きな人でもありました。
そういえば、怒ったところもみたことがなかった気がします。
新聞へ投書したり、小説家になりたいと言ったり、歳を経てからもチャレンジし続けていた女性でした。
そういえば、「勉強になるから」と、当時弘前に住んでいた、伊東六十次郎という、ある世界の有名人宅へ行き、ワタクシを引き合わせてくれたこともありました。

ひょうひょうとして、本心が何処にあるのか分からず、でも、そんな祖母の生き方は素敵でした。
思えば、ワタクシが異国の地を旅して、物書きを生業とした時期があったのも、祖母の影響というか、遺伝子を受け継いだからなのかもしれません。

もし、死後の世界があるとするなら、祖母は今頃、新しい世界で目を輝かせていることでしょう。