ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

東松島市

昔からの知人がいる、石巻から南へ下った東松島市にも行ってみた。
以前は、矢本町鳴瀬町と呼ばれ、奥松島として知られたところでもある。
ここもまた、多くの被害を受けた場所である。
航空自衛隊の基地を通り過ぎて車を走らせると、被害が少ないようにも見える。
が、それは大きな間違いであることに気づく。
田畑には、車をはじめ、樹木などの漂流物が流れ着いており「いったい、いつになったら、ここにコメを植えられるのだろう」と恐ろしい気分になる。

石巻街道(R45)から鳴瀬川を超えたあたりで、自衛隊のヘリがホバリング気味でゆっくりと移動しているのが見えた。行方不明者の捜索だろうか。
野蒜駅に向かおうとする辺りで、20名近くの自衛官が、がれきや汚泥で覆われた地面を長い棒で突き刺していた。冬山で行方不明者の捜索を行う山岳救助隊と同じような動きだ。
おそらく、目的も同じなのだろう。
交代しながら任務にあたっているのか、土手に腰かけている自衛官もいたが、どれもその顔は疲弊し、どこか虚無感が漂っているように思えたのは、自分の気分が落ち込んでいるせいだけではないだろう。

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鳴瀬川に通じる運河には家が流れたり、運河沿いの土砂が流れて土台から傾いてしまった家もある。
この辺りには防砂林があるせいか、根こそぎ倒された樹木が流れて着いている。
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いずれにせよ、とてつもない力で津波が押し寄せたことは間違いない。

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野蒜駅は、仙台と石巻を結ぶ「JR仙石線」の駅なのだが、入り口の前には巨木が横たわっていた。
もともと流れ着いたのか、置く場所がなくてそこに移動させられたのか分からないが、いずれにせよ電車が動き出すまでには、相当時間がかかりそうだ。

本当は、カキの養殖を営む方々がいらっしゃる集落へ行きたかったのだが、そこへ通じる道路は復旧作業中で足を踏み入れることが出来なかった。

そのかわり、カキ養殖業者のひとりと電話で話すことが出来た。
「このあたりは、あれ以来、潮が満ちると入れなくなる。今後、ここに住めるのかもわからない。多分、厳しいのではないかと思う」
宮城県内のあちこちで育ったカキを食べてきたが、個人的には東松島のカキは一番美味いと思っている。
いったい、いつになったら、ここのカキを食べることが出来るのだろう。
海が元にもどったとしても、またここの人々がカキを育てることがあるのだろうか。
言葉を選びながら、今後の方針について聞いてみた。
「堤防も決壊して田んぼも水浸しになっちゃったから、こりゃナマコの養殖でも始めたらいいのかなと話してます。いまは、もう次の仕事のことしか考えていませんよ。家族には怒られるかもしれないですけど、とにかく考えているのは仕事のこと100%です」
家も失い、社屋も失った経営者とは思えない、ギラついた刃のような声だった。