生まれ育った街がどうなってしまったのか。
親類や知人から見聞きしていたが、自分の目できちんと見るのは初めてだった。
意外にも、港付近の工場や施設は、外から見ると大きなダメージを負っていないようだった。
関係者からも「水道が通れば、掃除が出来る。そうすれば仕事も再開できる」という声が寄せられている。
すぐそこに海が見える仲卸市場も、津波には襲われなかった。
ところが、数百メートル先では、船が乗り上げ、激流に建物を破壊されている。
道路もあちこちが歪んでいた。
道路、つまりアスファルトやコンクリートという、構造的に曲がるはずのないモノが、とてつもなく大きな力でひしゃげ、歪められている。
いまさらながら、とんでもない力がはたらいたのだ、ということを再認識させられた。
街のはずれに住んでいたワタクシは、街へ行くのは小さな冒険だった。
小銭を握り締めて、ドキドキワクワクしながら本屋や模型店に入る。
近所にはないレコード店、雑貨屋、当時は映画館もあって、少しだけ大人の世界に触れたような満足感もあった。
あの頃から比べると、街はにぎわいをなくしたが、あの頃と変わらぬ店もあるし、あの頃にはなかった新しい店も生まれた。
それが、またゼロどころかマイナスになってしまった。
いまは、ただ、ひたすらゼロに戻すための作業をするしかないのだろうか。
がれきの山を見るたびに、しんどい気分になるのが正直なところだ。
ソフトバンクの孫社長が莫大な金額を寄付することが話題になっている。
大変ありがたい。
しかも、役員報酬を全額寄付し続ける、というのだから、すごい。
でも、願わくば、そのお金を被災地への「投資」として使ってほしい。
いま、被災地で被災者がやっているのは、ライフラインの復旧、ガレキの撤去など、マイナスになってしまったものをゼロ、デフォルトに戻す作業だ。
つまり、復旧だ。
我々が真に願うのは、復旧から復興へのシフト。
日々、やるべき仕事があり、収入を得て、必要なものを購入する。
お金が回り出せば、先々の事も考えられる。