ふと思う…
雨の中、高速を走っていたら、何台かのバイクが通り過ぎた。
レインウェアを着て背を丸めた彼らは、関東をはじめ、よそから来たバイク乗りだ。
彼らの耳には風切り音のほかにシールドを叩く雨粒の音が聞こえているはずだ。
こんな天気でお気の毒に、とも思うし、マシンにしがみついて荒天と戦う彼らをうらやましくも思う。
同じ道路を走っていても、エアコンの効いた箱の中でハンドルを握る自分と彼らが見ている景色はまったく別ものだ。
昨年の夏、マシンに乗っていた時、とんでもない大雨に遭遇した。
ポケットの携帯電話が水没するほどの強い雨だ。
なのに、笑いが止まらなかった。
タンデムしていたセガレは、ずぶ濡れになっているのに大笑いしている父親を不思議そうに見ていた。
アスファルトから登る陽炎も、身体を切り刻む疾風も、凍てつく雨も、全部自分のものにできる、このおかしさよ。
そして、小石ひとつで足元をすくわれ、身体が砕け散るおそろしさよ。
穏やかな日常に忘れてしまいがちな、生きているという現象をバイクは思い出させてくれる(と書くと、なにやら刹那的で、命を粗末にしているように取られそうだが、くれぐれも誤解なきよう)。
これがバイク乗りだ。
これがバイク乗りのしんどさだ。
これがバイク乗りの面白さだ。
そういえば、オレは父を乗せたことはあっただろうか。
元々バイクには、いい顔をしていなかったしな。
SUGOで転倒したのを見て、ますます嫌がってたっけかな。
でも、いつだったか、ハーレーに乗れよ、と言ってたから、あながち興味が無いわけじゃなさそうだ。
秋になったら、乗せてやるかな。
ご覧よ。
これが息子が飽きる程まで見ている景色だよ、と。
どんな顔をするだろう。
多分、内心楽しんでも、渋面で憎まれ口を叩くだろうな。
だが、それはかなわぬ計画となった。
その年の秋、何の前触れもなく、最期の言葉すら交わすことなく、父はこの世を去ったのだ。
かわりに、オレも父が見ていた景色を知らずにいる。
たとえば、頂からの眺め。
何時間も、時には何日かかけて歩き倒して、眼下に広がる雲海を見下ろす。
まだその光景を知らない。
自分で辿り着いた場所からの眺めは、どんなものだろうか。
そう思いながら、県境に連なる山々に目をやると、まだわずかだが、遠くから見る山がいつもと違って見えた。
レインウェアを着て背を丸めた彼らは、関東をはじめ、よそから来たバイク乗りだ。
彼らの耳には風切り音のほかにシールドを叩く雨粒の音が聞こえているはずだ。
こんな天気でお気の毒に、とも思うし、マシンにしがみついて荒天と戦う彼らをうらやましくも思う。
同じ道路を走っていても、エアコンの効いた箱の中でハンドルを握る自分と彼らが見ている景色はまったく別ものだ。
昨年の夏、マシンに乗っていた時、とんでもない大雨に遭遇した。
ポケットの携帯電話が水没するほどの強い雨だ。
なのに、笑いが止まらなかった。
タンデムしていたセガレは、ずぶ濡れになっているのに大笑いしている父親を不思議そうに見ていた。
アスファルトから登る陽炎も、身体を切り刻む疾風も、凍てつく雨も、全部自分のものにできる、このおかしさよ。
そして、小石ひとつで足元をすくわれ、身体が砕け散るおそろしさよ。
穏やかな日常に忘れてしまいがちな、生きているという現象をバイクは思い出させてくれる(と書くと、なにやら刹那的で、命を粗末にしているように取られそうだが、くれぐれも誤解なきよう)。
これがバイク乗りだ。
これがバイク乗りのしんどさだ。
これがバイク乗りの面白さだ。
そういえば、オレは父を乗せたことはあっただろうか。
元々バイクには、いい顔をしていなかったしな。
SUGOで転倒したのを見て、ますます嫌がってたっけかな。
でも、いつだったか、ハーレーに乗れよ、と言ってたから、あながち興味が無いわけじゃなさそうだ。
秋になったら、乗せてやるかな。
ご覧よ。
これが息子が飽きる程まで見ている景色だよ、と。
どんな顔をするだろう。
多分、内心楽しんでも、渋面で憎まれ口を叩くだろうな。
だが、それはかなわぬ計画となった。
その年の秋、何の前触れもなく、最期の言葉すら交わすことなく、父はこの世を去ったのだ。
かわりに、オレも父が見ていた景色を知らずにいる。
たとえば、頂からの眺め。
何時間も、時には何日かかけて歩き倒して、眼下に広がる雲海を見下ろす。
まだその光景を知らない。
自分で辿り着いた場所からの眺めは、どんなものだろうか。
そう思いながら、県境に連なる山々に目をやると、まだわずかだが、遠くから見る山がいつもと違って見えた。