ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

DT125R (34X) ウィンカーリレーのカプラ断線

ブレーキパッドの調子を見るのに、DT125Rを公道に繰り出したらウィンカーが点滅していないのに気づいた。

バッテリー上がりの時はこういうこともあったけど、ライトも点くし、そもそもバッテリーが弱いとYPVSが「おはよう」の挨拶をしてくれない(走ることは走る)。

Fフォークの隙間から覗いてみたら、ウィンカーリレーにつく2極カプラの片一方が断線している。

これ以上は走れないので、手信号で右左折を表示して帰宅。

細い細いマイナスドライバー兼ギボシ抜きツールで外します。
これ、結局、マイナスドライバーとしての役割を担っていない。
主に細かい作業するのに、部品を寄せたりするのに使用しています。

 

Z1Rから移設した筒状のウィンカーリレーなので、どこにもぶら下げることができず、タイラップを駆使して適当にフローティングして終わり(写真ありません…)。

またしばらくは大丈夫だろうけど、このマシンも次々と傷んでいく。
足回りを整備したら、いいんだろうけど先立つものもなく…

 

 

ブレーキパッド交換

前々から怪しかったDTのブレーキパッド。
ほとんど遠出しないし、停まらないわけじゃないから放置していたのだが、効き目が甘くなってきたので交換。
最後に交換したの記録も記憶も不鮮明なくらいだから、相当でしょう。

作業開始。
といっても、キャリパーを外して、使い古しのパッドを抜いて、新品と入れ替えたら終了。

キャリパーの下にある12mmのボルトを抜いてやるとキャリパーは外れます。

長年、手をつけていないせいか、ちょっと固着気味。
ナメたら哀しいので、レンチでホールドしてゆっくりと回してやる。
ボルトを外すと、キャリパーがスウィングして、ブレーキパッドにアプローチしやすくなる、とサービスマニュアルには書いてある。
確かにそうなんだけど、ピストンを戻すには、キャリパーをフリーにした方がいいので、横に引っ張って外した方がいいでしょう。
ボルトを外せば、キャリパーも工具なしで外れます。

なかなかダメな感じ。
これじゃ危なくて乗ってられません。

本当はデイトナの赤パッドでもおごりたいところだけど、リーズナブルなNTBのブレーキパッドを調達。
A61-009YN
今回はMonotaROで購入。

本当に必要なのか分からないけど、パッドの角を削ってやる。
これやっても、鳴りが出ることもあるから…

ピストンの戻りが悪い時は、ニップルを緩めてやると圧が抜けてくれる。
もちろん、ダダ漏れしたブレーキフルードがあっちこっちに飛散すると泣きをみるので、チューブをつけるか、こぼれたそばから水をぶっかけてやる。
ケチったこと言わないで、ピストンは限界まで押し広げてやるといい。
ああでもない、こうでもないとキャリパーを突っ込むよりも早い。
もちろん、抜けた分を補充しないといけないので、あらかじめブレーキフルードは用意しておく。

それから、ブレーキの整備やOHをした後、テスト走行とばかりに勢いよく走り出す人もいるけど、エンジンをかける前にブレーキの動作確認を。

ブレーキ周りをいじると、ブレーキが抜けてることが多いので、何度もレバーやペダルを踏み込んでタッチが硬くなるのを確認して、さらに制動距離とかキャリパーのボルトなどにガタつきがないかを再確認。

バイクもクルマも大事なのは、スピードでもコーナーリング性能でもなく、停まりたい時に停まれることなので。

 

これもまた時代なのでしょうけど

大っぴらにはPRしてませんけど、実は空冷Zとの戦いには、YouTubeチャンネルもあります。

www.youtube.com

ただし、ほぼ自分は登場せず、手が映ったり、何かに反射して映ってしまった程度。
おまけにトークも一切ないので、いわゆるユーチューバーとは毛色が違うかもしれません。

顔見知りの人、取引先の人でも、何人かがYouTubeチャンネルを持っていて、ご自身の仕事に関するテキスト動画や、お客さん向けの動画をアップしています。

ちょっと気になったのが、どう考えても間違った情報というか、解釈がおかしい内容というか、論理的に説明している風でも紙に書いて読めばオカシイこと言ってるというか、そういう投稿。

たとえば、自分がZ1Rについて「楽しいバイクだ」とか「愛着があるんだ」という内容だったら、25年も乗ってるんで、多少盛った内容だとしても許してくれると思うんですよ。

けど、ほとんどZ1Rしか乗ったことないくせに、あたかもZ1Rが世の中のバイクの代表格のような言いっぷりで何かを言ったら「おめーよ、他のバイク乗ったことあんのかよ」とか「勘違いも甚だしい」って読んだ人達から怒られるでしょう。

 

冷静に考えれば、そうなんだけど、意外に多いんですよ。
あんまり書くと「アンタ、オレのこと言ってるでしょ」と怒られそうだから、核心には触れないけど…

 

20年、30年くらい前は、情報の出どころは雑誌がメインで、これもまたおかしいことを書いているケースもなくもないんだけど…それでもライターが書いたものをデスクだの編集長だの編集局長だのがGOサインを出して世の中に出回る。
いまは、どこの誰なのか分からない人が、それっぽく仕上げてつくった動画が支持され、それが真実として扱われる。

これがね、詐欺とか人を騙して金をふんだくってやろうなんて輩だったら
「この野郎、テキトーなこと言ってるとXXXXXぞ!」
とかコメントしてやろうものだけど、本人的には悪気はないし、むしろ正しい情報を世に知らしめんとしていることが多いので厄介。

面と向かって「それ間違ってるよ」とも言いづらいし(そもそも、そこまでの仲ではない)…

デジタルネイティブからしたら、そういう真贋を見極めてナンボ、という感じなのかもしれないけど…

困ったもんだ。

赤白Kawasaki 黒白Kawasaki

これらの写真は、言わずと知れたKawasaki純正部品。

誰もが安心のGENUINE PARTSというヤツだ。

 

いつの頃からだろうか。
Kawasakiのロゴが黒になり、検品の捺印がなくなってしまった。
時を同じくしてMade in JAPANからMade in Indonesiaなどアジア製に置き換わったパーツが散見。

誤解してもらいたくないのは、アジア製の工業製品を見下しているわけではない。
電子部品や電子機器類の筐体はアジア各国の基幹産業になっているし、あのAppleがクオリティを認めているのだから「安かろう悪かろう」ではない。

自動車だって、小さなハーネスからボディ、それらのアッセンブリでさえ、ひとつの国で賄えるのはタイ王国くらいなものだ(自動車大国のアメリカは、とうの昔に自国の工業製品だけでは1台の車を作ることはできなくなっている。つまり、あちこちの部品を海外から輸入している、というわけ)。

オートバイだって小排気量車種のマーケットはインドネシアをはじめとしたアジアの新興国に移っている。
だから、マーケットのメインストリームになっている国で造られたものが、日本に入ってくるのは何ら不思議なことではない。

しかし、である。
ある方のSNSで、とても新品とは思えない、明らかに管理の行き届いていない部品が届いた、という投稿を目にした。
どういう経路で届けられたのか分からないが、10人いたら9人くらいは「これ、ホントに新品?」と目を疑うようなレベルだった。

 

ご存じの方も多いと思うが、Kawasakiでは純正部品の取り扱いに制限を設けるとお触れを出し、個人ユーザーには直接販売するから大丈夫とか、正規ディーラーでなければ購入できない、という流れになり、通販大手も一瞬Kawasaki純正部品の取り扱いを終了したが、結局4月下旬から従来通りパーツを購入できるようになった。

あの混乱は何だったのか憶測でモノを言うのはやめておくとして、国内在庫がないものについては、海外協力工場に外注、船便でユラリユラリやってくる、という感じじゃなかろうか。

我々のような旧車ユーザーは、旧車市場そのものを活気づかせているとはいえ、Kawasaki本体への収益向上には貢献していないだろう。

もし、Kawasakiの営業マンがこれを読んでいたら
「ねえ、もう25年もZに乗ったんだから、そろそろ新車を買ってくださいよ。
あなたがZ1Rを手に入れた1997年から、1か月5000円ずつ積み立てていたら、いくらになっていますか?150万円ですよ。H2とは言わないまでも、だいたいの新車は買えたじゃないですか」
と、言いたくなるのではないだろうか。


純正部品だって、傷んだり壊れなければ、発注するのはOリングやガスケットなどの消耗品ばかりだ。

それどころか、マーケットの様子を探る試みもあったのかもしれないが、Z900のシリンダーヘッドを製作販売したり。

であればこそ、小さな純正部品にも同じようなQCを求めたくなるのは、ユーザーの勝手な望みなのかもしれないけど…

いま、未曾有の円安になっているうえ、純正部品も2022年6月から価格改定されたのだから、生産数の多い純正部品やボルト、ネジ類などは国内工場へ回帰してくれたら、産業の空洞化にも歯止めがかかるし、技術の継承にも貢献する。

そして、本来は、そういう業種に政府もバックアップすべきなのだろうけど...

そのうえで、脱炭素に向けた新しい車両を開発してもらったらいいような...と末端ユーザーならではの身勝手極まる愚痴だな、こりゃ。

 

 

距離を置いて付き合わないのが、ベストフレンドの条件だ

一休さんの「とんち」みたいなタイトルだけど。

 

このごろ、有償無償の頼まれごとが多い。
ひとに頼りにされることは、まあまあ、ありがたいというか、人の役に立っているというやりがいも生まれる。

「どういうことを、どういう風に手伝えばいいのか教えて」

と、聞いてもサッパリ答えが出てこないまま放置される。

あるいは、話を進めていくうちに「これ、こういう風に段取りしないと、うまくいかないのでは?」と気づいて教えてあげると「ああ!そうだった!じゃあ、この人に連絡して、それをうまいことやってください」とか言われる。

 

いやいや、待てよ。
最初から参加していたのならまだしも、突然、一部だけ手伝ってくれたらいい、という話なのに、中核というか、根幹を左右するようなことを投げられても困る。

 

わかりやすくいえば、運動会で徒競走のスターターを頼まれているだけなのに、競技内容やルールを決めてくれ、と言われているようなものだ。

 

また、事前にスケジュールを伝えているにも関わらず、おそらくそれを忘れて
「急にこれが必要になったので、どうにかしてくれないか」と。
「あまり期待しないで欲しいし、こういうものは、そちらで用意してほしい」
と伝えているにも関わらず、モノを用意して現着したら「こちらでは用意できなかった」と。

もう少し具体的な段取りなどを教えてくれまいか、といったら
「もう結構です」という回答だった。

自分たちが、同じことをされたら、どう思うんだろう。
やっぱり、暇そうにしているのが良くないんだろうな。

これからは「寝る間も惜しいくらい忙しい人」を装うとか
「多忙で体調を崩しました。数日間寝込みます」なんていうフェイク投稿をしていけば
「あの人には頼みづらいな」という雰囲気になるんじゃない?


そうすることで、人間関係も悪化しないしね。

よし、忙しい人として生きることにしよう(笑)

旧車乗りたちの現在地

20年以上も昔のオートバイ雑誌を手に取る。
ZだのCBだの空冷4発、それに混じってZX系の水冷4発に乗るライダーたち。

だいたいが20代半ば。
30代くらいになると、ちょっとコワモテの顔役といった風情の大先輩で、若造の自分らにバイクの乗り方や人との付き合い方を教えてくれていた。

あれから時が過ぎた。

たまにバイク雑誌をめくると、当時の生き残りといいますか、よくぞいまも乗っていらっしゃる!てな人たちばかり。

アラフォーどころかアラフィフ、下手すると前期高齢者みたいなライダーたちが顔を連ねている。

旧車もビックリするほど高額になったしね。
当時は50万円も出したら、それなりのコンディションの個体が手に入り、100万円、つまりビッグバイクの新車価格に近い金額を出せば、ベストコンディションのマシンが手に入った。

実際、自分が買った初代Z1Rは20万円そこそこ、いまのZ1Rは35万円とかそれくらいで買ったものだ。

それが、いまやそんな金額じゃ書類つきフレームすら買えない(笑)。

200万、300万は当たり前。
こないだなんか、700万円のMk2みてひっくり返りそうになった。

これじゃ旧車なんか気軽に乗れない。
常識的な金額で売っている現行車両を買って、故障とパーツ廃盤のリスクから解放されてノビノビ乗った方がいい。

自分がその代表者みたいなものだけど、旧いバイクに囚われているのは、本当に哀れというか、視野狭窄だと思う。

乗って遊ぶのは楽しいけど、それを2くらいだとしたら7か8くらい、故障や盗難などの恐怖がある。

実際「今日はどこそこに走りにいくぞ」と思っても「ちゃんと動くだろうか」「壊れたらどうしようか」という不安がかなり大きい。

20年前には、あまり考えたことも無かったが、いまはそういう心配が先行する。

そんなのはボロに乗っているお前が悪い、と言われたらそれまでだけど。

違うジャンルだけど、音楽。
ロック以外は音楽じゃない、みたいな考え方。

自分の考え方としては「ロックは誰もやったことのない奇妙奇天烈な音楽」であり、スリーコードを8ビートで弾くのは、すでにロックという型枠に囚われてしまった既存の音楽だと思っている。

同じように旧車じゃないとバイクじゃない、という考え方…そうじゃなくても、現行車両の良い部分に気づけなくなった人達は、もう時代から取り残されている。

ファーストガンダム以外はガンダムじゃない、とか、あのシリーズじゃないと安心できない人達が一定数いるんですよ。

ノスタルジックなコンテンツはお金儲けになるかもしれないけど、イノベーションは生まれない。

アメリカもスパイダーマンバットマン、スーパーマンなどのヒーローものは、何度もリブートして、それがもはやひとつの手法になっている。
だれそれ版バットマン、だれそれ版スパイダーマン
映画単体は、すごく面白いし、こういう解釈できたか!と、それこそ原曲をアレンジするEDMみたいなノリは好きだけど…
けど、この先、語られるような新しいヒーローは生まれない。

日本でもウルトラマン仮面ライダー戦隊シリーズを作り続けているが、あの枠からはみ出て大成した作品はあるだろうか。

一世を風靡したエヴァンゲリオンも結局はリブートだし。

バイクに話を戻す。
個人的な予想では、これからさらに旧いバイクが伸びていく可能性は少ないと思う。
世の中のモビリティは、バイクも含めてどんどんEV化されていって、ガソリンスタンドという石油製品を販売するビジネスは電池交換所、充電場所にとって代わられる。

ガソリンの流通量は激減、単価も急騰する。
排気ガスに対する法令などで、ある種の条件を満たしていない車両は地域内への乗り入れが不可能になるかもしれない。

走っていいのは、限られたクローズドだけ。
そうまでして維持したいと思う人たちが、どれだけいるだろうか。

それが何年後に訪れるのか、そんなことにはならないのか分からないけど、新しいものに目をむけ、変化に順応していく方がいい。

 

ロシアとウクライナの情勢について思うこと

連日、ウクライナでは戦闘が行われ、多くの人々が犠牲を強いられている。

ウクライナに住む民族的にウクライナ寄りの人たちもそうだし、ウクライナの領土内に住む親ロシア派の人たちも無事ではいられないだろう。

ロシア、ウクライナの歴史に疎い我々でも、いちばん最初に考えなければならないのは、原油高、小麦高、肥料高ではなく、兵器や硝煙とは無縁の生活を送ってきた、我々とあまり変わりのない人々のことだ。

随分と昔、中東で起きた湾岸戦争
あの時、メディアはイラクが侵略者でありクウェートイノセンスであり、イラク軍を率いるサダム・フセインはダースベイダーが如く悪の権化として扱われていた。

しかし、数十年が経ち、冷静な気持ちで当時の資料を読み返すと、イラククウェートに侵攻せざるを得なかった事情を垣間見ることが出来る。

もちろん手段として戦争を選ぶ、先に先制攻撃を仕掛ける側は非難されてしかるべきなのだが、それをいえば、日本だって真珠湾攻撃をしかけたのだから悪の権化だ。

では、当時、そこに暮らしていた日本人が、おしなべて好戦的でアメリカを殲滅せんと目に炎をたぎらせていたか、といえばそんなことはないだろう。

あの時、日本としては、哀しいことだが、そうせざるを得なかった。

という意見も多いのではないだろうか。

単純に現在のロシア・ウクライナの構図に当てはめることはできないが、JRの某駅のようにロシア語表記の看板を隠すのは、昔、アメリカで暮らしていた日本人が開戦直後にいわれなき差別を受けた状況を連想させる。

SNSで見かけた投稿だから信ぴょう性はないが、ロシア人が経営するバレエ教室に石つぶてを投げた人たちもいるのだそうだ。

いまの日本で。

石を投げた、石を投げたことへ喝采を送ることは、無抵抗のウクライナ人に銃を向けたロシア軍とやっていることは大差ない。

世の中がスターウォーズのように勧善懲悪だったら単純で良いのかもしれないが、われわれ日本には機動戦士ガンダムという優れた作品があるではないか。

地球連邦には地球連邦の正義が。

アナハイムエレクトロニクスにはアナハイムエレクトロニクスの正義が。

ジオン公国にはジオン公国の正義が。

ザビ家にはザビ家の正義が。

キャスバルにはキャスバルの正義が。

ミネバにはミネバの正義が。

それぞれの言い分、それぞれの立場によって、正義も真実も別の姿を映す。

 

何が正しいことなのか分からないかもしれないが、戦火に追われる人々を差別することなく、手を差し伸べることは正しさにつながっている気がするし、そうあって欲しいと思う。