ホームステイも何週間か過ぎる頃には、オーストラリア生活にもだいぶ慣れてきた。
最初の10日くらいは、めまぐるしく過ぎていったものだが、ある程度日数が過ぎてしまうと「何であんなことが分からなかったのだろう?」「何で気が付かなかったんだろう」ということも。
慣れたからといって、油断は禁物。
「こっちでもジャパンカップ、放送するの?何よ、馬券も買えるんじゃん!」といって100ドルが水の泡と消えたり、「わー遅刻じゃ!」と単車で学校に行って駐車禁止の切符を切られてみたり…どこにいようが、生活なんてそんなに変わるものではない。
で、何週間か過ぎたということは、そろそろ語学学校もおしまい。
もともと、学校もホームステイも4週間で申し込んでいたのだ。延長も可能なのだが、ほとんど役に立たない語学学校に、これ以上金を掛けるわけにはいかない。
誤解のないように言っておくと、語学学校がひとつも役に立たなかったわけではない。
やっぱり、先生がいれば
「こういうときはこの言い回しでいいのか」
「コレは間違っていないか」
てなこともすぐに教えてくれる。
費用対効果を考えると、いい選択かもしれない。
ただ、オレにとっては、あまり意味をなさなかった。
当初の目的である「情報収集」は、かろうじて達成できたが。
授業を延長しないとなれば、やるべきことはただひとつ。部屋探しだ。
部屋探しといっても、アパートを探すのではない。
ルームシェアを募集しているシェアメイトを探すのだ。
ようするに、2DKとか一軒家なんかに住んでるヤツが、他の部屋を遊ばせておくのはもったいないから、あるいは家賃の負担を軽減するために「誰か一緒にすまないか?」と同居人を募るわけだ。
「知らない人間と一緒に住むなんて…」なんてこといってちゃ、豪州じゃ暮らしていけない。オーストラリアだけではなく、アメリカだってコレが当たり前。
日本でいうところのアパートや賃貸マンションに住んでもいいが、最低何ヶ月か住まなければならない。身元がしっかりしていないと、貸してさえくれない場合もある。
契約できたとしても、家具をそろえなければならない。
ルームシェアならベッドや机などの最低限の家具がついているし、冷蔵庫やTVなどの家電製品もある(ことが多い)。
それに知らない人間と一緒に暮らすのは、何だか楽しそうである。
ひょっとすると、えらく可愛い女の子たちとひとつ屋根の下に暮らすことになるかもしれない。
そう考えると不安なんてどこへやら。
オレはビシバシと部屋探しを開始した。
同じように部屋探しをしているワーキングホリデーの友達と新聞を見たり、ワーキングホリデー事務所、日本人向け情報センターのBASICに行ってみる。
ところが、たくさんありそうでなかなか見つからない。
相手とこちらの条件がぴったし合う物件は、意外に探せないものである。
こっちが「いいな」と思っても、すでに誰かに取られていたり。
Zの時と一緒だ。
Zといえば、オレが探している物件の条件に「ガレージ」があった。
いくら安全な国とはいえ、車上荒らしや車の盗難なんて日常茶飯事。
みんな車に警報機を装着している。
単車なんてあっという間にかっぱらわれる。
ボンダイの家にいたときも、ワイヤーロックを掛けているとはいえヒヤヒヤものだったのだ。
しかし、ガレージつき、あるいは駐輪スペースのある物件は意外にない。
あんなに広い国なんだから、何とかなりそうなものだが、さすがシドニー。
家賃もそれなりに高いようだ。
以前は週に100ドルといえば、そこそこ広くて綺麗な部屋に住めたらしいのだが、当時すでにそんな物件は皆無。
あっても、不便だったり街から遠かったりと条件が悪くなる。
ヴィッキーは「急いで探すことはないよ。学校に内緒で泊めてあげるから。何なら、しばらくここに住めばいい」とまで言ってくれた。
思わず、鼻がツーンとなる。何て優しい人なんだろう。
しかし、そのコトバに甘えるわけにはいかない。誰もが自力で頑張っているのだ。
オレは毎日あっちこっちに電話をかけまくり、張り紙をチェックしていた。
そして、タイムリミットまであと4日というところまで迫った日、1枚の張り紙が目にとまった。
「週100ドル。場所パディントン」
こいつは安い。
パディントンといえば、小洒落た街としてシドニーでも有名なエリア。ブティックやレストランなどガイドブックに載っている店も多い。
しかも、シティとボンダイを結ぶオックスフォードストリートの途中にあるため、ボンダイへもシティへも一直線。
「あいや、ヴィッキーこりゃええ物件だ」
「そうねえ」と頷くとヴィッキーは太目の身体をソファから起こした。
「あれ、どこへ行くの?」
首を傾げるオレに、ヴィッキーはこう言った。
「Inspection(下見でしょ)!!」
…行動力抜群のおっかさんである。
ボンダイのアパートからパディントンまでは車で15分程度。
渋滞にやられなければ、10分もかからないかもしれない。
広告の物件は、パディントンでもだいぶボンダイより。
ガイドブックを持っている人はセンテニアル・パークという馬鹿でかい公園を探してほしい。おおまかに言えば、公園の北側がパディントンである。
物件はオックスフォードストリートから200メートルくらい入ったところにあった。通り沿いにはアイアンレースに飾られたテラスハウスが並んでいる。アイアンレースとはテラスの飾りつき鉄格子で、テラスハウスというのは、テラスのついた家だ。
これじゃあまりにもひどい説明か。
ガイドブックにはパディントンの歴史、テラスハウスの発祥などが書き記されているが、そんなものを丸写ししても仕方ない。
腐っても物書きだ。自分なりの印象を伝えなければいかんだろう。
テラスハウスを初めて見た時、オレは「何て幅の狭い家だ」と目をむいた。
両手を広げた大人が二人並んだよりも狭いかもしれない。
そのかわり、やけに縦に長い。家同士は1枚の壁で仕切られているだけで、日本の長屋のようになっている。ちょうどマッチ箱を縦に置き、それを並べたような感じだ。
ドアをノックすると、金髪のストレートをあごの辺りで切りそろえた中年の女性が出てきた。
彼女が家主のサーシャだった。
サーシャは「カミン」と笑顔でオレとヴィッキーを出迎えてくれた。
出かける前にヴィッキーが話をつけておいてくれたので、あとはオレが部屋を気に入るかどうかだった。
100ドルの物件というわけで、案内された部屋は、納戸のように狭かった。
でも、天井が高いせいか圧迫感はない。それと部屋が北向きなので、日当たりは抜群である。南半球なので、日当たりがいいのは北側なのだ。
だからといって、北西を選ばないように。時々、南半球は西から太陽が昇ると勘違いするヤツもいるが、どこだろうが日の出は東。
驚くべきことに、この家は築100年以上だという。
よく見れば、床や壁の木材が相当いい感じの色艶を出している。
何となく雰囲気もよさそうだし、住んでる連中は日本人が4人とオーストラリア人がひとり。
それほど多く言葉を交わしたわけではないが、気さくで楽しそうな感じだった。
「ヴィッキー、オレここに住んでみようかなあ」
この一言で決まりだった。
翌週からオレはパディントンの住人となった。
以後、この家の住人は番地をもじって「フォーティーナイナーズ」と呼ばれることになる。
…って呼んでたのはオレとジュンだけか(内輪ネタ)。
左からKAZ、オレ、JUN
KAZは49の住人ではなかったが、JUNの仲間。
49'sの面々。
バースデーパーティー。20年以上過ぎた今もまだ付き合いのある連中もいる。
大家のサーシャ、その友人たちとのホームパーティー。
裏庭。誰かが世話をしていたのかもしれないが、今思えば美しい庭だった。
初代Z1R。謎のモナカ・マフラーが搭載されている。結構、ウルサイ。
本物のワル、フーチ。バリバリにいじったハーレーに乗っている。
ちなみにZはよく転んでたので、左ウィンカーが割れている。