ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

人生は面白おかしく…

叔父の葬儀が終わり、やや落ち着きを取り戻した。

父の時と違って「余命何カ月」という医師の宣告と、周りがお別れの為の心の準備というか心の整理があったからか、おのおのが心の中で多かれ少なかれ決着をつけてたせいか、よいお別れが出来た気が。

お通夜の忙しさがピークを越えてから、ご遺体に付き添うということで、以下のメンツが残った。
S:喪主。ワタクシのイトコ
N:喪主の妹のダンナさま
T:イトコのリーダー格
友:喪主の旧友。

ワタクシは居ても役に立たないだろうから、実家で着替えてバイクでアパートに戻ろうと思ったんだけど、リーダー格のTがビールを片手に「Takeda(もちろん本名で呼ぶんですが、ここでは便宜上)も残るだろ?」と。まあ、その前にも誰かが「お泊り要員だよ」と言ってたので「じゃあ少しだけ」と。

「しかしまあ、あれだねえ…」
なんてセリフから、始まる思い出話。
しんみりとね、涙をにじませながら、ポツリ、ポツリと語る…というイメージがあるんだけど、そんなのはテレビドラマだけなのか、うちの一族が特別なのか。

ちょっとするうちに、ドンチャン騒ぎ。
あまりにもすごいので、葬儀会館の宿直担当が「…すごい賑やかですね」と閉口。
で、いつの間にか『親父たちはとんでもなかった』というエピソードが次々と語られる。



昔、叔父とワタクシの父(以下Uさん、と表記)がスキーへ行った。
仙台駅辺りから「いまから、帰る」と叔父宅へ連絡があり、遅くもなく早くもない頃にドアベルが鳴った。家族がドアを開けると、そこにはタクシーの運転手が立っており「すみません、荷物を出してもらうの手伝って下さい」とペコリと頭を下げた。
遊び疲れて、何も持つのが嫌になったんだろう、仕方のないお父さんね、といった感じで外に出たら、本人たちの姿が見えない。
「あれ?どこに行ったんですか?」
と、聞いたら、運転手が半分呆れたように
「この紙を渡されて『ここの住所へ行ってくれ』と言われただけですよ」と答えた。
で、本人たちは何処へ行ったのかというと、荷物だけ渡してそのまま仙台の飲み屋街へ姿を消したのだそうだ。

それを聞いたNさん「頭いいなあ」と感心。
いや、それは褒めるとこじゃない。

「スキーといえば…」とTが口を開いた。
数十年前、Tがまだ大学生だった頃、冬休みに友人たちとスキーへ行くことになった。行くことになったといっても、多分思いつきでそうなったらしく、行きたい日が1月の3、4、5日。
そして今が12月28日ごろ。
どう考えても、宿泊予約なんか出来るはずがない。
そこで、TはUさんに相談。
「分かった、ちょっと待ってろ」
と、ジーコロ、ジーコロとダイヤルを回すUさん。
「あ、Takedaです。うんとね、うちの甥ッ子がそっち行くから。え?3日、4日、5日の二泊三日」
切り出した瞬間、受話器の向こうからスキーハウスのおかみさんらしき人が「そんなの無理」といった口調でまくし立てるのが聞こえる。
Uさんはそれをスルーして
「ああ、うん、うん、はいはい。とにかく、考えておいて、また電話する」
とこれまた一方的に相槌を打って電話を切った。
Tは「会話になってないじゃない」と思いながらも「大丈夫、10分したら電話するって言ったから」というUさんの言葉を信じるしかなく、10分待った。
Uさんは言葉通り、10分後に電話をかけた。
が、あっちは相変わらず金切り声に近い声で「無理」と言っている。
そりゃあそうだろう。
年末年始、スキーシーズン最盛期、ほかの人はもっと前もって予約しているものだ。
「とにかくね、あんたも、よく考え直して。また電話するから」と、やや語調を荒く電話を切ったUさん。
よく考え直せって。
そんなおかしな理屈あるもんか、まるでヤクザの示談交渉だ、とTが思ったかどうかは知らないが、最後の電話が「とにかく○人、そっちに行かせるから。部屋?乾燥室だっていいべや!」と言って電話を切った。そして、Tに向き直ると「オッケーだ。行っていいから」とだけ告げた。
それのどこがオッケーなのか。
当日、Tがスキーハウスへ行くと、くだんのおかみさんが「よく来たね」と迎えてくれた。
でも、それは「遠いところ、大変だったね」ではなく「本当にきやがった」という、呪いのこもった目だったという…

「Takeda一族ってスゴイというか、つながりが濃いですよね。昔ならいざしらず、いまこういう関係を続ける親族っていないですよ」
と、イトコの妹のダンナ、Nさん。

Nさん、そしてここには登場しないTの妹と結婚したYさんは、結婚前に一族の洗礼を受けた『犠牲者』である。
叔父貴やUさんたちの子供たち、ワタクシのイトコたちは疎遠になった者も含め、20名ちかくいる。
そんなにいるのに、女の子がたった3人で、一族中枢の街に住む2人は、人柄の良さもあいまって一族の「アイドル的」な存在。
家族以外の親族からも、同じように可愛がられ、大事にされるのも分かるというもの。

で、そんな二人が結婚するということになれば「何ィ?どんなヤツだ?連れてこい!!」と、鬼の表情になるのも無理はない。
観た人なら分かるかもしれませんが、こないだ大ヒットしたアニメ映画「サマーウォーズ」。
あの世界がTakeda一族にも通ずるものがある。


「だって、はじめて塩釜に連れてこられて、今日はお義父さんとUさんだけだったのに、なんかあれよあれよと言う間に親戚の叔父さんたちが集まって、囲まれちゃいましたもの」
Nさんは、戦争か災害の被災者のような口ぶりだった。
「でもね、Nさんは10年くらい前でしょ?あの頃は叔父貴たちも多少丸くなったからいいけど、Y君の時はすさまじかったなあ」
と語るT。
それはオレもよく覚えている。

その日は、Tの母が長年勤めていた会社を退職するというので、身内で退職祝いを開いていたのだが、そこへTの妹が「彼氏を連れてくる」ということに。
もう退職祝いどころじゃない。
Tの父もUさんも、臨戦態勢で待ち構える。
実はYさんという人は、エリート学生、エリート商社マンで、自他共に認める「出来る男」で、多分その能力から目上の人間にもそれを認めさせてきた実績もあったのだろう。
「お嬢さんと付き合ってます」から「お嬢さんと結婚させて下さい」の計画も自分なりに組み立てていたんじゃないだろうか。

あいさつ代わりにYさん、ちょっと自慢話っぽく「自分はこういう人間です」と会社概要ならぬ自分概要をご披露する。普段なら「すごいですねえ」「そうなんですかあ」というリアクションが返るはずが、Takeda一族の男たちは「そうか、そうか分かったから、まあ飲みなさい」と盃をすすめるだけ。
なるほど、酒が飲める、飲めないで男の器をはかる田舎のオッサンたちか。
と、思ったかどうかは知らないが、Yさんは上司からも「飲んでも変わらない」とお褒めを頂く、酒の席でもエリートだ。叔父たちにもすすめながら、スマートにその場をこなしていく。
が、だんだんとペースも量も限界を超えそうになっていく。
「大丈夫、どんなに飲んだって泊まればいいんだから」というススメにも
「いえいえ。今日は帰りますよ」
とカッコよく断っていたが、意識は混濁。
とうとう、フラフラに。

「なんだ、だらしないなあ」と笑われ、プライドはズタズタに。
挙句の果てに、翌日、テーブルマナーが悪いとさんざん怒られて、意気消沈。

その後、何度かT宅で飲む機会があったんだが、Yさんの「今日は帰ります」は実現することなく、いつもぶっ倒れるまで飲まされていたという。

Yさんがいわゆる「イヤなエリート」だったら、それだけ出来る人だもの、適当に酒を受け、なんかの理由をつけて中座するなり、帰るなりしただろう。
でも、Yさんは最後まで叔父やUさんの酒に付きあう「いいひと」だったのだ。

その後、Yさんは無事にTの妹と結婚、ちょっとしてからカナダへ渡り、放浪中のワタクシを迎えてくれた、優しい「お兄さん」なのである。


他にも、売り物じゃない、それは売れないというものを無理やり買っただの、なかば強奪しただの、警察と揉めて裁判沙汰になって無罪になっただの、話は尽きない。

息子や甥が知っているだけで、こんなにとんでもない話があるんだから、きっと我々に話せなかった「トンデモ」話がたくさんあるんだと思う。

10代の中ごろ、多分、みんな多かれ少なかれそうだったんだと思うけど、オレは父のことは「ただの酔っ払いサラリーマン」としか思っていなかったし、父親に反抗することで自分のアイデンティティーを確立しようとしていた時期だったのかもしれない。

でも、こんな話を聞くと、父も叔父も(きっと他の叔父たちも)決して退屈な人生を送っていたわけじゃない。あの日の自分が気付かなかっただけで、むしろいまの我々が眩しく感じるほどの楽しい人生を過ごしていたのかもしれない。

「あんな大人になりたい」「大人になったらあんな風に生きてみたい」と思いを馳せた大人の世界。
映画、ドラマ、小説のエピソードや実在のスターの伝説に憧れる我々だけど、フィクションや遠い存在の話じゃ触れることも出来ない。

でも、実は意外に身近なところに、面白おかしくカッコイイ人生を送った大人たちがいるのかもしれない。

参考文献(?)
http://blog.goo.ne.jp/tsukutaku8384