ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

命日とか

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3年前、突然父親が死んでしまい、バタバタとしていたわけですが…
いつの間にか人は日常を取り戻すものです。

今日もまた、3年前と同じように、太陽の光は限りなくやさしく、空は晴れ渡り、そよ風が心地よかった。
父の父、つまり、ワタクシの祖父が亡くなったのも、美しい10月でした。
少し違うのは、今年は、まだそこかしこに夏の欠片が残っていること。
3年前は革ジャンが必要で、夜は少し冷え込みがきつかったのですが、今日はワイシャツの袖をまくっても汗ばむ陽気でした。
ゆるされるなら、自分も旅立つならば、こんな美しく穏やかな日を選びたいものです。
そんなことを思いながら、墓参りをしてきたわけです。

その帰り、知人に勧められて、中村ハルコさんの写真展を観てきたのです。
あんまりね、写真展も美術館も行かないし、観ても正直、よいのか悪いのか、さっぱりで。
きっと写真展出すくらいだから、いいんだろう、とね。
そのくらいの認識なんですけどね。

この方、若くしてすい臓がんで亡くなっていて…ご主人が、こんなことを書いておられます。
ご主人がこれを書かれたのは、ハルコさんが亡くなられてから、半年くらいの頃だそうですが、こんなくだりがあります。

私もなぜ晴子は死んでしまったかという、どうしようもないことを、一生懸命考えていることがあります。ある晩は見事にできあがった理屈にいたく満足して眠りにつくのですが、翌朝目覚めると、その理屈の楼閣は「ああやっぱり晴子はいないんだ、夢じゃなかったんだ」という素朴な感情の波にあとかたもなく消されていて、砂の上に見出すのはただ塩辛い泡だけです。

静かな、とても静かな文章なのですが、行間からは激痛にも似た悲しみが、残酷なまでに鋭利な刃物となり、胸の内側をえぐられているのだ…手をあてがおうにも、決して届かないところを切り刻まれているのだ…そう思えて仕方がありませんでした。

でも、悲しみ以上に沢山の幸せを置いていった方なんじゃないか、と。
旅立ってからも、こうして沢山の方々に愛されてるしね。

空冷Zとの戦いも、かくありたいものです(笑)。