ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

放射能騒ぎは、宗教と同じだと言い切ってしまう

ヤフーブログでみつけたエントリーです。
親父の告白・・・。(口調が厳しいのでスルーでも可) - ~Ayumu_Creative-Laboratory~
コメントを見ると、表面化していないだけで、いろいろとイヤな思いをしている人も多いんですね。
病名は言いませんけど、特定の病気にかかった患者に対して「空気感染する」といって隔離したのと同じ行為が、この現代社会において行われていると言っていいでしょう。

有識者とか専門家とかプロっぽい人も言っていることが様々だし。
多くの人々が一定の目安にしている「暫定基準値」も、「水は100度で沸騰する」というような物理法則が元になっているわけじゃないし。

うんと気にする人は、日本から脱出して海外に住んでいる。
「そりゃ経済的に余裕があるから出来ることだ」という声もあるが、お金の有無が問題なのではなく「ここにいたら、自分は確実に死んでしまう。命と金は比べられない」と判断した末の行動であることを忘れてはならない。
仮に自分の住んでいる街が、即死レベルの放射能だったら、年収に関係なくそこを離れるわけだから。

じゃあ何ベクレル、何シーベルトが安全か危険かという問題については、本当は誰も分からないのである。
例えば「38度のお風呂」と「43度のお風呂」の数値上の違いは、多くの人が感覚的に違いを思い起こすことができるわけだが、放射線量になると途端に実感がなくなる(当たり前だけど)。

週刊誌に「○○が危ない」「■■は食べるな」という見出しがあり、中を読むと、まあそれなりにデータが書いてあり、オーソリティが「お墨付き」のような意見を述べる。
こういう場合、オーソリティは必ずしも、記事の内容とか方向性に対して「お墨付き」を与えているわけではないのだけど、読み手の心を左右するには十分である。

ある週刊誌は「小沢一郎は悪くない、検察がおかしい」という記事を載せるが、ある週刊誌は「ついに解き明かされる小沢一郎の全貌」といったアンチ記事を載せるのと、似たり寄ったりではないだろうか。
なんて書くと小沢支持者に怒られるかもしれないし、その論理だと「放射能は危険」「放射能は危険ではない」ということにもなりかねないので、訂正。


悪いことすると、地獄へ落ちる。
もしくは、天国へいけない。

ちょっとコワイか。
なら…

悪いことすると、バチが当たる

昔、こんな風に怒られたことがあります。
因果応報を引き合いにして説教したことはありませんが、うちの子供たちも、いつの間にか知ってるようです。
じゃあ悪いこととは、何なのかというと、そりゃあもう「正義の話をしようか」というところまで膨らんじゃって、収拾がつかなくなります。

実は放射能放射線の話もそういう状況で、もはや、いまさら政府や東電や有識者が「ここまでは安全ですから」とPRしても、信じるか信じないかの話になってしまっています。

そういうことから、個人的には「放射能を熱心に語る人」=「宗教を熱心に語る人」と同列に置いています。
科学と宗教を同じにするのか、と笑われそうですが、基準値が人の意見で左右されるようでは科学的とは言えませんし、曖昧なものを頼りに、場合によってはすがるようにして選択肢の基準にするようでは、宗教と何ら変わらないと思うのです。

宗教に似通っているのは、個人の内に秘めておけばいいはずの価値感を、公共の場所に広げたうえで、他者を排斥・攻撃していることですね。
中世の魔女狩り魔女裁判キリシタン弾圧にも似ていますね。
宗教がそうであるように、信じちゃっている人の価値感を変えることは難しいのです。

宗教に例えると、熱心な信者から怒られるかもしれないですね。
じゃあ、星座占いとか血液型占い…占い師さんから怒られますか?
じゃあ、動物占いでもいいでしょう(笑)。

宗教にせよ、占いにせよ、信じてしまっている人の心を変えるのは難しいのはご存知の通り。
「福島」もしくは「東北」にゆかりがあるというだけで、一部の人々から排斥や弾圧を受けることが、これからも続いていくのかと思うと、胸が痛みます。