ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

神様とか仏様を信じている人が読むと、けしからん!と腹立たしくなる話

喪中と体調不良を理由に参拝できずにいた地元の神社へ行ってみた。
今回は参拝と同時に「家内安全」のおふだ(?)を買うのと、年始恒例のおみくじを。

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なんだ、いい心がけですね、と褒められそうだが、若かりし頃から基本姿勢は「無神論者」である。
オカルトを全否定している大槻教授にも似ているかもしれない。
何故かというと、神様がいて、それこそ「神の見えざる手」が我々の運命を担っていて、神様仏様による評価で人の一生が決まるとか、来世のことが決まりますとか、そういうことになると、シュミレーションゲームの「信長の野望」とか「大戦略」などに「超能力」とか「神の鉄槌」といった要素を取り入れるのと同じくらい、ゲームバランスが崩れてしまうことになるのと同じではないか!と鼻息を荒くしていたのだ。

神仏やら森羅万象を信じるか信じないかというより、いてもらっては困る、といったらいいのかもしれない。
そういう調子だから、生まれ変わりとか幽霊の類も、内心ではおっかないと思いながらも、理性の上では「存在しない」と決めつけていたのだから、なかなかたちが悪い。

何故かというと、まず「誰でも幸せになれる」という宗教の謳い文句、これが、胡散臭かった。
誰でも儲かる株式投資がないのと同じで、誰でも幸せになる世界なぞあるはずがない。
北半球とか西側諸国と呼ばれる辺りに住んでいる連中の幸せの為に、アフリカの連中は不幸に陥っているのを見ると、ますます嘘に聞こえる。

それに、宗教とか神仏を大義名分にすれば、何でも許されると思っているのも腹立たしい。
十字軍とか、聖戦とか。全然、平和じゃねーじゃん。
一方の幸せとか大義の為に何かをしようとするということは、たいてい、相対する人たちの不幸とか排斥につながるわけで、それを看過している宗教って、一体何様よ?と、また腹立たしくなるわけ。
何処の誰が何の神様を信じようが、信じまいが、自分で勝手に好きな神様に一生懸命祈っていればいいのであって、他人を巻き込むことなんか必要ないでしょう、と。

青春を謳歌する10代の頃、すでにそういう思想だったが、高校生くらいになると「まあ、神様仏様がいてもいいんじゃないか」くらいには、人間が丸くなった。
好きだったシャーロック・ホームズの一場面で、ホームズがバラを眺めながら「人間が、花を見て美しいと思う感情を持つということこそ、神が存在するという理由だ」みたいなことを言うわけです。
「あーなるほどね」と思って、その辺りから「多分、居ると思えば居るのだろうが、人間の生活に干渉したり、行いが良いとか悪いとかの理由で何かをすることはない」というところまで譲歩(笑)することにしました。

が、居るからと言って、神前や仏前で「お願いします」とペコペコ頭を下げるのは、選挙近くになると街かどで突然ペコペコし出す候補者と同じくらい「違うだろ、それ」と思っておりました。
ペコペコの回数で効き目があるなら、自動ペコペコ機作るぞ、オラ!という感じでした。

なもんだから神仏の前では「こういう感じで生きてきたので、今後もこういう感じで生きてくぜ、ベイベー」と唱えておくにとどめている、と言っておりました。
当たりめ、と罵られたこともありますが、小銭を投げ入れて、あれこれお願いする方が、図々しくないか?

「オレ様は、神様のことを本当に大事に思っているので、願い事なんかしないのさ。いちいち、人の願いばっかり聞いていたら、神様もしんどいだろう。なので、結果報告とか決意表明をしておしまいにするのさ」

まあ、でも、神様仏様にそれだけでは、あんまりだし、もしかしたら、本当は「ああっ女神さま」に登場するベルダンディーのような、嫁に貰ったらそれこそ神仏に毎日感謝するような女神様が、守っていてくれて、本当ならZでバリバリ走っているあの時にひっくり返って死んだ、とか、登山中に滑落して死ぬはずだったのが、女神様の出来心もといお慈悲の元、生きながらえさせて頂いたのであれば、これは感謝せねばなるまい。

と、いうことで「今日まで何とか生きて来れました、はい、それは神様、仏様、周りの皆々様のおかげでございます」という感謝の気持ちをそっと呟くことにした。

実際、こんなワガママで、性格も根性もねじ曲がった人間にお付き合い頂いている方々、友人は決して少なくないし、そういう人たちに支えられながら生きていることも、また事実ですから。

なので、この頃は月に一度くらいは、神社へ参拝へ行っている。
何故、神社に特化するのか。
仏教やキリスト教イスラム教の信者になってもいいんじゃないか、と言われるかもしれないが、戒律とか何かこうあれこれ細かいことが苦手なのですよ。
そこへいくと、神社ってウェルカム!って感じだし、何しろ巫女さんが可愛いでしょうよ。
「萌え」という言葉が確立される、もっともっと前から意味合いとしては「萌え」を意識して、置いてるでしょう。
そうすると、パワーがみなぎってくるんですよねえ。
「ヘボい毎日だけど、もう少し、頑張ってみるかあ!」と(笑)。

ちなみに、今月は、本当にのっぴきならない事情があり、恥をしのんで「神様、今回だけお助け!」と、生まれて初めて、具体的なお願いをしてみました。
そしたら、帰り道、さっそく、のっぴきならない事情が回避されそうな感じになりました。
何十年、お願いしなかった人間がお願いすると、効果てきめんです。
来月から、遠慮しないで、これまでお願いしなかった分、どんどんお願いしたいと思います。

そして、おみくじの結果は、上記の通り。

確実に前進している途中であり、楽しくガンバって、何事にも自信をもて、と。

合点承知!

でも、神様、できれば、車検通すためのお金が…せめて春ごろには欲しいので、そこんとこよろしく。
ちなみに、おみくじについてきた、七福神お守りは、弁財天。
誰もが知っている、弦楽器を手にした、美しい女神様である。
今年は、ロックの女神様がついてくれるようです。