こないだの電圧計搭載に使うか。
あるいは、某ショップのパーツが如く、バッテリー直の配線に使用するか(Loには実装済み。でも車検はHiで計測するのよね)。
1000円と100円玉何枚かで買えるので、もう一個買ってもいいんだけど…
1000円と100円玉何枚かで買えるので、もう一個買ってもいいんだけど…
ちなみにレギュレーターは手元を離れ、遠くへと旅立ってしまいました。
いずれ、別の機会にお話しましょう。
内装を散々バラしてみた車。
エンジンルームを開けてみたけど、何だか良く分からない。
「もういいから、素人は触んなって。
今の車は、いじるとこなんて、何も無いから。
オイル交換だって、サービスデータ通りでいいから。
ウォッシャー液だけ、補給してくれればいいよ。
どうせ、他の見たって分からんだろ?」
と言わんばかり。
こないだまで乗っていたオデッセイは、まだ、どこか前世紀のニオイというか、旧い時代の雰囲気を漂わせていた。でも、今の車は違うのね。
なんかね、タイヤがついたスマホとか家電を購入した感じ。
経年劣化はしていくのだろうけど、馴染んできたり、そんなアナログなフィット感が育っていく感じがしない。
0か1か。
動くか動かないか。
不具合が出たらモニターに警告メッセージが流れ、お近くのディーラーへ、という感じ。
こないだみたいな、急遽配線を繋ぎ合わせて…という技は一切通用しないだろう。
スマホをだましだまし使えないのと同じように。
いや、不満があるわけではないのです。
使い勝手は、今まで乗ってきたどの車よりも素晴らしいし、家族の後押しで装着したナビも、きっと彼らや同乗者たちを退屈させないだろう。
でも、そこはかと感じるこの車との距離感は、何年経っても縮まることはなさそうだ。
ということは、愛車と言いながら、自分は車からずっと拒絶されたままなのだろうか、と少し不安になっている。
でも、こういうのは男の感性なのかもしれない。
すぐ調子が悪くなるバイクに、気分屋の女性像を投影したり、あるいは「お前はオレがいないとダメなんだよな」と、上から目線になってみたり。
今の車は、その逆。
「ガソリン供給量も、エンジンの回転数も、電動走行のタイミングも、全部私が最も適切なところを決めますから。あなたは、ただ、前を注意して運転して下さい。だって、あなた、そういうことできないでしょ?」
と、ハナっから、立場が違う。
近未来SFでは、機械やコンピュータが人間に反乱を起こすなんて設定は使い古されているが、すでにその片鱗を見せ始めているのではないかと、思う今日このごろでした。