20数年ぶりの幻
あけましておめでとうございます。
2017年もよろしくお願いします。
今日、仙台のThe MALLとかララ・ガーデンをウロウロしていた時、本当にものすごい偶然だったのですが、20数年前、一緒に音楽をやっていた仲間を見た……気がしました。
「見た」と確信がもてないのは、もはや20数年も会っていませんから、ワタクシの記憶にあるその人の顔は、当時のままでしかありません。
そこに相応の変化を足していかないと現在の顔にはならないわけですが、その「さじ加減」に自信がなかったし、勇気を出して声をかけても向こうが私に気付かないかもしれません。
それこそ「あんた、誰?」とか言われたら恥ずかしい。
あるいは、まったくの人違いで「すみません、変な人が声をかけてきます!助けて!」とか言われたら、年始早々逮捕勾留されるおそれもありますし(笑)。
そう、その人は女性なのです。
出会った当時、彼女は女子高の友人たちと、いまでいう「ガールズ・バンド」を結成していて、幼少時からピアノを習っていたこと、そこにプログレッシヴ・ロックの要素が加わり、ティーンズならではのちょっと耽美で倒錯的な世界観がミックスされて、しかしながら、コミカルでポップなイメージのバンドでした。
絶妙なバランス感覚をもった世界観は本当に素晴らしかったのですが、彼女は感情の起伏が激しく、本人がこれを読んだら、それこそ「名誉棄損だ!」と激怒するかもしれませんが、尖ったガラスの破片のように攻撃的で、ところがガラス細工ですから非常に脆く、ちょっとしたことで傷ついて、しかも壊れた破片が自分自身をも傷つけるような、もう少しでメンヘラじゃないか、というような、どこか危なげな女の子だったのです。
当時のワタクシも、カッコばかりのどうしようもない軟弱者でしたので「それが年頃の女の子ってもんよ…」と笑ってあげられず、最後の最後には「あーもーめんどくせえなあ」と、いつの間にか、連絡を絶ち、疎遠になってしまいました。
あの頃、彼女の言い分をちゃんと受け止められる余裕があったり、大人の助言が出来れば、同じバンドを続けられたかどうかは分かりませんが、もっと一緒に作品を作ることも出来たのではないかと悔やむところもあります。
彼女が何処かで当時の自分を懐かしんでいないかと、バンド名や彼女がつくった曲を検索してみるのですが、さすがに見つかりませんね。
今日、見かけた女性が、"余破音"(ヨハネ。途中、漢詩のレ点が何処かに入り、余った音を破壊する、という意味を込めている)の首領(ボス)「くまら」だったのかどうかは分からないけど、彼女がいまなお、マハラジャだのサクリファイスのような独自の世界観あふれる作品を作り続けているのであれば、音楽でなくても、芸術でなくても、20数年を経た彼女の「WORKS」を見せて頂きたいものです。
あるいは、向こうも「オバサン」もといオトナのレディーになっているわけですから、この20年に起きた出来事を話しながら酒でも飲めたら面白いのではないかと…
やっぱり声をかけておけばよかった?