ブログ版 空冷Zとの戦い

Kawasaki Z1Rに関するブログ?

「生きる」ということは「殺す」ということ

少しショッキングなタイトルかもしれないけど。
今日「食べて下さい」と生きている動物を頂いた。
子供たちは、物珍しそうに寄ってきて「食べるの?」と聞いたので「そうだ」と答えた。

子供たちには、生きるということは、何者かの命を奪う、ということであると常々教えてきた。
食べるものが動物だろうと植物だろうと、命を奪うことにかわりはない。

ベジタリアンやビーガンな方々から、思い切り非難されそうだけど。
植物は生物ではあっても、自我(魂)を持たない生物だとか、果実などを食べる場合は殺生ではないとか、いろいろな主張はあるだろうけど、個人的には「違う」と思っている。

農作物を育てるために田畑を開墾して、その辺りの生態系を破壊することもあれば、収穫の効率をあげるため、農薬で虫を殺し、虫をエサにする動物たちの命を間接的に奪っているのではないか、とか。
そもそも、地球人全員がビーガンになったら、生活は成り立つのか。
動物を食って生きている人々がいるからこそ、成り立つライフスタイルなのではないか、とか。

先の話に戻る。
目の前で殺されたものを食べるのは、いまなお複雑な気持ちになるが、その感覚すら偽善的だ。
スーパーで売ってる生鮮食品も加工品も、誰かが命を奪ってくれたから、その形になっているわけだから。

自ら、命を奪うことで、気付くわけだ。
「今日、オレは、他の生き物を、この手で殺した」と。

感謝なんかしても、殺された方は一つも救われないだろうし、自分ごときに食われてスマン、とも思う。
だから、食えるところは無駄にせず、食う。
それが、最低限の礼儀だと思うから。